7月23日〜7月28日


9日目:7月23日(月) 快晴 走行距離/累計96km/686km
熊石 ⇒ 北檜山 ⇒ せたな ⇒ 島牧(しままき)
宿泊:島牧ユースホステル(YH)(島牧村)
熊石から走り出すと左手の水平線上に奥尻島が見える。
「道の駅テックイランド大成」で休憩。

国道229号線は「大成町」から「せたな町」へ行くのに海岸線沿いでなく峠越えになっている。峠へ向かう国道と海岸へ行く道の分岐点にある旅館の前で掃除していた女性に海岸線を通れないか聞いたところやはり途中で通行止めとのこと。 自転車も駄目との返事。
仕方なく峠へ向かう。峠越えでたっぷり汗をかいた後、快適な下り坂!! これが待っているから峠越えはやめられない?

海沿いの道を走ると、色々な形をした岩が見える。猿岩とゴリラ岩と勝手に命名した。
猿岩 ゴリラ岩

北檜山・レストラン
風力発電の風車
北檜山の町で素敵なレストランを見つけた。店のオリジナルメニューの「ホタテフライカレーセット」にする。BGMはシャンソンで店内の雰囲気も良くランチを楽しんだ。

せたな町に入ると風力発電の風車があり、8基がゆっくりと回転している。奥尻島へのフェリー乗り場で休憩。2階の食堂でコーヒーを飲みながらくつろぐ。フェリーを見たかったが接岸まであと40分位待つことになる。又、今晩泊まる島牧YHまで40km位走る為に諦めてフェリー乗り場を後にした。途中の海水浴場で小休止していたら遠くに奥尻島からのフェリーが見えた。

須築トンネル。距離は長くないが自転車族にとって悪いトンネルの見本であった。片側1車線のトンネル幅5.5mで歩道なし。車が来ないのを確認して一気に走りぬけた。この後もトンネルが続く。

追分ソーランライン
島牧YH
「追分ソーランライン」の看板を何回か見かける。松前から日本海沿いに北上する国道228号線は通称「追分ソーランライン」と呼ばれていて岩礁沿いの快適な道が多い。

沖を大型のフェリーが航行している。小樽から新潟へ向かうフェリーに違いない。今回小樽からの帰りはあのフェリーで新潟まで行くことにしている。

見晴らしのよい海岸沿いの国道を進み島牧ユースホステル(YH)へ到着。外観は茶色のレンガのきれいなYHである。館内へ入るとブラザーズ・フォーの曲「グリーンフィールド」が静かに流れている。BGMがブラザーズ・フォーなのでオーナーは多分、私と同じ団塊の世代に違いない。自転車は車庫に入れることが出来た。
部屋に2段ベットが2つ。学生時代の寮生活は各学年1人ずつの計4人であった。当然、1年生と2年生は上のベットで3年生、4年生が下であった。YHのこの部屋では私1人なので下のベットにした。卒業して36年振りに上のベットに寝転んでみた。しかし、よく4年間、学年違いの4人で1部屋の寮生活を過ごせたものだ。

夕食時、隣の中高年のグループは関東から来た日本山岳会のメンバーで男性4人と女性1人。車で移動し道内の山々を登っているとのこと。女性の方は国分寺市(東京)に住んでおり76才、とてもその年令に見えない若々しさだった。このメンバーで月平均1回山へ登っているそうだ。一番若い人で65才。平均年令が高いのでメンバーになって欲しいと笑っていた。団塊の世代の私が入会してもさほど平均年令は下がらないのでは・・・・。



10日目:7月24日(火) 快晴 走行距離/累計100km/786km
島牧 ⇒ 寿都(すっつ)⇒ 雷電海岸 ⇒ 岩内(いわない)⇒ 泊(とまり)⇒ 神恵内(かもえない)
宿泊:みのる旅館(神恵内村)
BGMは60年代・70年代の歌。やはりオーナーは私と同じ昭和23年生まれだった。
出発前に奥さんからコーヒーを薦められたのでご馳走になる。宿泊している50才代の夫婦と話す。この夫婦はYHに長期滞在しており男性は北海道の自然風景を撮っているプロカメラマンで埼玉に家はあるが旭川にも家があり道内のあちこちで風景写真を撮っているそうだ。オーナーの奥さんと写真家の奥さんは東京の通勤電車を経験済み。「東京のラッシュ時の電車は二度と乗りたくない」と笑っていた。

寿都への道
弁慶の像
YHの隣の「道の駅よってけ島牧」は休館日だった。
寿都へ向けて走る。

弁慶岬に大きな弁慶の銅像が建っていた。義経伝説の一つなのだろう。
碑文「義経再挙の兵を募って蝦夷地へ向かう常陸坊海尊を待った。滞在中、弁慶は、毎日毎日、岬の先端に立ってその到着を待ちわびたが遂に軍団の船影を見ることができなかった」 銅像の台座に「想望」と書いてある。

寿都のコンビニで札幌から来たマウンテンバイクのおじさんと自転車談義。

小さな漁港で小休止。宿泊先の旅館・民宿(神恵内村)のリストを見て電話する。最初の民宿「葬儀があるので今日は休み」、次の民宿「満員です」、次の民宿「やっていません」、結局4軒に断られてしまった。最後の願いをかけ息子と同じ名前の旅館に電話する。「工事関係ですか、観光ですか?」、私「自転車で旅行中の者です」、旅館「食事は出来ませんが泊まりだけで良ければ」 泊まれるだけでも幸せなことなので申し込む。

眺めの良い雷電海岸沿いを走る。雷電トンネル(3,570m)へ入る前にトンネルをチェック。広い歩道が無くしかも長い。いつものようにサドル下の赤色点滅灯をつける。後続車を確認し後続車を先に通してからトンネルへ入る。寿都町から岩内町の海岸沿いに8ツのトンネルがあり、先ほど通った雷電トンネルが一番長く、次にこれから通る刀掛トンネルが二番目に長い2,754mである。

刀掛トンネル(2,754m)
刀掛トンネルの中でトラックが別のトラックを追い抜いて行く! 信じられない。途中で自転車を止め後ろから来たトラックを通すが、トラックの右側についている部品(金具類)が外れて道の右側へ飛んでいった。こちら側だったら大変なことだった! 

共和町を過ぎ、泊村へ入る。泊原子力発電所の前を通ると近くに原発のPRセンターがあった。原発の3号機が建設中だが、「現場で不審火によるボヤが相次いでいる」と新聞に載っていた。

神恵内村の旅館に到着。宿のおかみさんが鮨屋(勝栄鮨)を紹介してくれた。宿のご主人が喪服を着て、「これから葬式に行くが鮨屋は途中なので車に乗っていけ」と言う。喪服のご主人の隣に座り鮨屋まで送ってもらう。

店には親父さんと息子の二人がいて鮨を握っている。
外のスピーカーから村のお知らせを放送している。「今晩6時から・・で・・さんのお葬式があります」 そうか民宿のいくつかに電話して断られた原因の一つが葬式であった。この村の出身者も葬式に出席する為にこの村に今晩は帰って来ているのだろう。
男性2人と女性1人が来店しカウンターの隣りに座った。地元に住んでいる父親と息子それに息子の嫁さんであった。
息子さんは倶知安にある旅行代理店の社員で添乗員として日本の各地へ行っている。佐渡へも行ったことがあり佐渡に魅せられたとのこと。彼が佐渡で泊まったホテルや飲み屋の話で盛り上がった。広い北海道にある小さな村で佐渡の話が出来るとは・・・ 旅は出会いですな。
「五勝手屋本舗」の羊羹が美味しいとのこと。店の親父さんから「丸缶羊羹」を1本お土産にもらった。
この3人は口をそろえて「この鮨屋は北海道一うまい寿司を食べさせてくれる」と言う。旅館のおかみさんも同じことを言っていたが、確かに旨い寿司で大満足!!
みのる旅館 勝栄鮨・神恵内



11日目:7月25日(水) 快晴 走行距離/累計54km/840km
神恵内 ⇒ 神威岬・神威岩 ⇒ 積丹岬 ⇒ 積丹町(しゃこたんちょう)
リフォレ積丹ユースホステル(YH)(積丹町)
出発前に「コーヒー入れたから」と言うのでご馳走になる。彼女の人生話が興味深く1時間も聞いていた。
出発する時にオニギリを2個くれたので頂戴する。

積丹半島の神威岬・神威岩と積丹岬でゆっくりと過ごす為に宿泊を50km位先の積丹町のユースホステルに決めておいた。

海岸線の国道は幅が狭い箇所が多くトンネルがいくつかある。又、工事中の為に片側交互通行の箇所も何カ所かあった。大森トンネル(2,509m)、川白トンネル(2,106m)、神岬トンネル(1,162m)をいつもの慎重さで走り抜ける。

国道229号線から離れ神威岬へ向かった。坂道を上ると岬の先端までの小道は強風の為ゲートが閉まり通行止めとなっていた。残念ながら灯台のある先端までは行けなかったが、かって女人禁制の厳しい岬であり神威岩とともに迫力は十分に感じた。
売店で「神威岬到達証明書」の葉書を買うと到達日時のスタンプを押してくれた。

神威岬から積丹岬へ向かう途中、漁師直営の「食堂みさき」へ入る。三色丼(うに、いくら、かに)を食べる。店の外へ出て他の店の看板を見ると同じく「漁師直営」とあった。
積丹町 神威岬・神威岩 三色丼

島武意海岸
国道229号線から道道913号線へ入り積丹岬へ向かう。岬へは急坂なので坂の下に自転車を置いて歩いて岬へ行った。ここも強風で岬から灯台への坂道もきつかった。灯台から島武意(しまむい)海岸を眺める。

道道913号線は車も少なく前半はのんびりとした道だったが、後半は長い上り坂で炎天下の峠を越える。

国道を積丹岬方面へ少し戻ったところに「リフォレ積丹YH」があった。「おかえりなさい」の看板がある。私の他に男性2人と同室、他の部屋に女性2人の合計5人。
・男性(神戸):レンタカーで旅行中の35才、礼文島のYHの雰囲気が良く何回となく礼文島のYHへ行っている。
・男性(大宮):列車とバスで旅行中の37才、司法試験を受けるために会社を退職しロースクールで勉強中。
・女性(東京):養護学校の先生、海外旅行も楽しんでいてアラスカのユーコン川でカヌーの体験もある行動派の人。明日は同室の女性と一緒に積丹半島でカヌーを楽しむとのこと。
・女性(バークレイ・カリフォルニア):アメリカに20年住んでいる日本人(浜松出身)。一人で日本を旅行中。アメリカ人のご主人と13才の息子(サマーキャンプ中)がアメリカに残っている。アメリカでの訴訟体験を話してくれたが、想像以上の訴訟社会である。日本で旅行中、ホテルだと人との触れ合いがなくYHがいいとのこと。
リフォレ積丹YH



12日目:7月26日(木) 曇 走行距離/累計55km/895km
積丹 ⇒ 古平(ふるびら)⇒ 余市(よいち)⇒ 小樽
宿泊:小樽ヴィラ・マウンテングユースホステル(YH)(小樽)
リフォレ積丹YH
皆さんから見送りをうけYHを後にする。

美国の街中を通過。厚苫トンネル(125m)、丸山トンネル(410m)を通る。距離は短いが幅が狭く交通量も多かった。さらに古平トンネル(169m)、沖歌トンネル(1,321m)を通る。沖歌トンネルは歩道が広く安全だった。

豊浜トンネルの表示があり立ち寄る。ここは寄ってみたいと思っていた場所である。小さな公園になっていたが落盤事故に関するものが見当たらない。少し奥に行くと碑があり事故についての慰霊碑があった。
建碑趣意の説明文「高さ最大70米幅50米体積1万1千立方米に及ぶ大規模な崩落が発生し同時刻に通行中の路線バス及び乗用車各1台が被災し20名の尊い命が失われる悲惨な事故が起こった。 巨岩に閉ざされ・・・・・・8日間にわたる懸命な救出作業が行われた しかしながら・・・・・・・」
当時、救出作業の実況中継で背後に特徴のあるとがった大きな岩(セタカムイ岩)がテレビ画面に連日出ていたがその岩が目の前に見える。
事故があった1996年2月の旧豊浜トンネルの長さは1,086mだった。セタカムイトンネルと旧豊浜トンネルを迂回ルートでつなぎ新豊浜トンネルとして2001年2月に全面開通した(2,228m)。
若いカップルが車で来て海をバックに写真を撮った後、慰霊碑に気がつかないのか関心がないのか車に乗り込みトンネルへ入って行った。
豊浜トンネル入口 慰霊碑

沖ノ間トンネル(1,321m)は広い歩道があり安全だった。ワッカケトンネル(498m)に入るが歩道や路肩のない狭いトンネルで後続車が来ないことを確認し一気に走り抜けた。出足平(でたりびら)峠への坂道はきつかったが峠を越え梅川トンネル(295m)を通り余市町へ入る。ここからは国道5号線となり海岸沿いの広い道を進む。
道路標識

「小樽19km」の道路標識のあたりから「とうもろこし」や「さくらんぼ」を売っている店が何軒かある。蘭島海水浴場で休憩。砂浜でキャンプしている家族連れやボール遊びしている若者が見える。

積丹から小樽までは距離あたりのトンネルの数が北海道で一番多いのではないかと思う。桃内トンネル(370m)、笠岩トンネル(370m)さらに塩谷トンネル(541m)を走る。塩谷トンネルの入口は広い歩道があり安心して歩道を走ると突然歩道が1m位の幅で狭くなる。しかも歩道上にはビンのかけらや空き缶があり路面状態も最悪。小樽に近いのでトンネル内の交通量も多く安全第一を考え自転車を降りて出口まで押して進む。

ついに小樽の市街へ入る。港沿いの道を進むと小樽運河へ出た。
韓国や台湾からの団体さんも多く賑わっていた。自転車を引いて運河沿いを散策する。人力車引きのお兄さん達が呼び込みをしている。ヒット曲の「小樽の人」の歌詞のプレートも見える。
小樽運河 小樽運河

ヤマト運輸へ行く途中に小さな公園があったので小休止。めったにしない「Vサイン」をし写真を撮る。苫小牧から出発し小樽に無事に到着したので思わずVサインが出てしまった。

ヤマト運輸で自転車を分解し袋(自転車用の輪行袋)に入れ、さらにダンボール箱1個を購入しバッグ類や衣類などを詰めて一緒に自宅へ送ってもらう。

小さなデイバッグのみの気楽なスタイルで新日本海フェリーのターミナルへ歩いて行き明日乗船する新潟行きのフェリーの乗船券を買う。
フェリーターミナルから運河までさらに歩く。 運河界隈を散策後、小樽運河食堂へ行く。建物の中にある飲食店はどこもレトロ調の雰囲気。ラーメン屋さんが2軒並んでいて迷ったが1軒(蔵屋 運河店)に入る。まづは生ビールで祝杯を挙げる。ラーメンを食べるが味もよく正解。
小樽運河食堂街 小樽運河生ビール らーめん・蔵屋

運河から遠かったが日本郵船の旧小樽支店の建物を見るために歩いた。明治39年(1908年)に建てられた英国風ルネッサンス洋式の石造建築で新婚旅行で小樽へ来た時にもここを見学している。午後5時閉館なので残念ながら外から見て再び運河へ戻る。自転車ばかりだった反動か歩くのが楽しく感じる。
夜の運河界隈をぶらぶらしながら小樽駅前のバスターミナルへ向かう。明日から始まる「潮まつり」の提灯があちこちに見える。
日本郵船・旧小樽支店 夜の小樽運河 潮まつり準備

バスターミナルから天狗山ロープウエイ行きのバスに乗り終点で下車、来た道を50〜60m戻ると「小樽ヴィラ・マウンテングユースホステル」があった。
雰囲気の良いYHで家族連れが何組かいた。


おまけの旅(大型フェリーの旅)


7月27日(金)〜7月28日(土) 晴  
小樽 ⇒ 新潟 (航海距離:692km)
宿泊:新日本海フェリー「らいらっく」
過去2回の旅の終了後は温泉へ行きリラックスしたが、今回は小樽から新日本海フェリーで新潟まで19時間半の船旅を楽しむことにした。千歳から羽田まで飛行機で帰るのは時間的にあっけなく終わり、旅の余韻が味わえない。

YHから天狗山ロープウェイ乗り場まで歩く。
バスの発車時刻(08:25)までしばし時間があるので周辺を散策する。ロープウェイで天狗山山頂とも思ったがロープウェイはまだ動いていない。フェリーの出航時刻(10:30)もあるので山頂へ行くのは諦めた。
バス乗り場は高台の広場なので眺めがよく、港に停泊中の船や市街が見てる。海上自衛隊の護衛艦2隻が出港し視界から消えるまで見ていた。
路線バスに乗り終点の小樽駅前まで行く。
小樽ヴィラ・マウンテングYH 天狗山ロープウェイ下 小樽駅

小樽駅前のバスターミナルでフェリーターミナル行きのバスに乗り換える。 あちこちの停留所を回り、「石原裕次郎記念館」の前を通りやっとフェリーターミナルへ到着。

「らいらっく」の要目
旅客定員:892名 全長:199.9m 総トン数:約18,300トン  航海速力:22.7ノット  車両積載台数:トラック/146台  乗用車/58台
フェリー「らいらっく」 小樽港
動画:小樽港出港

船内を海上保安官(新潟海上保安部)2名が定期的にパトロールしている。
積丹岬と神威岬の沖を通過する。自転車でそれぞれの岬へ行ったが、今度は船から岬を見ることになった。残念ながら時化ていてデッキへ出れず窓越しに岬を見る。
奥尻島の沖合いを通過する。展望大浴場でゆったりとお湯に浸かりながら海を見る。飛行機でなく船にして良かった!!
神威岬 奥尻島

午後7時50分頃、新潟から小樽へ向かう姉妹船「ゆうかり」と行き合う。洋上にライトの灯りが見えてロマンチックである。
2等室の定員は1部屋24名だがお客さんは8名しかいなくスペースは十分にあった。

新潟港

朝5時15分頃に新潟港の沖合い。信濃川河口から新潟港のフェリーターミナルへ進む。同じ部屋の人も下船の支度をしているがそのうちの2人は制服に着替えていて自衛隊員であった。靴置き場には2人の編み上げの靴が置いてあった。

佐渡の両津出身の私には毎度お馴染みの佐渡汽船のターミナルにカーフェリー1隻とジェットフォイル(高速船)3隻が接岸している。佐渡汽船でなく別のフェリーから新潟港を見るのもいいものだ。
朝6時頃に新日本海フェリーターミナルに接岸。これで第3回北海道自転車の旅がすべて終了、お疲れさんでした!!




追悼

北海道を自転車で旅をしている時に何人かに言われた「長野県で年配の男性が自転車旅行中に事故に遭い亡くなったので気をつけて下さい」 
確かに新聞に事故の記事があり知っていたが改めてこの年配の男性と事故についてインターネツトや新聞記事を調べてみた。

男性の名前は原野亀次郎、年令80才。2007年6月25日午後1時50分頃、長野県小谷(おたり)村の国道148号線の外沢トンネル内で大型ダンプカーにはねられ亡くなった。自転車で日本一周を終え帰宅途中だった。2006年4月下旬、自転車で長野を出発して自宅到着まで残りわずか40km地点だった。現場は片側一車線の右カーブでトンネルの長さ約1.3km。ダンプカーは車道の左端を走っていた原野さんを後方からはねた。トンネル内は照明があり見通しはよかったそうだ。

一周中にインタビューを受けた時にこのようにコメントしていた。「戦友が戦死し、私だけがかろうじて生きている。戦友の代わりに私が青春を送っているんですよ」
2005年に2カ月間、自転車でドイツを回り自信がついたことから日本一周を決意したとのこと。
「鎮魂」とTシャツの背中に書いてあったそうだ。

インターネットでサイクリング関係を検索したら原野さんが鹿児島を走っている時の記事があり自転車の傍にいる原野さんの写真があった。とても80才に見えない若々しい原野さんだった。
合掌


第4回北海道の旅


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