旅を終えて


生まれ育った両津湊や夷しか知らなかったが、歩いてみて初めて佐渡の地理と歴史を再認識できた。旅を終えてからもいくつか思い出に残ることがあった。

四天王杉
大黒杉
石名(いしな)の天然杉 9月20日(金) 
兄の車で天然杉を見に行くことにした。馬首から林道を進むと天然杉の遊歩道から離れた所に駐車場があった。この天然杉は数年前から知られるようになった。佐渡に住んでいた頃は全く知らなかった。
ガイドブック「大佐渡石名天然杉」より
「江戸時代に相川金銀山が栄えた頃、薪炭材とするために県有林(当時は幕府直轄領)でもたくさんの木が切り出されました。しかし、天然杉は燃料に向かないことからそのまま残されたようです。大佐渡石名天然杉は、大佐渡山脈主稜線付近(標高約900m)の県有林石名団地に生育しています。このあたりは年間を通じて雲や霧が発生しやすく、冬期間は積雪も多く、季節風も強いため、杉の生育には非常に厳しい環境となっています。そのため、得意な形状をした杉が多く残っており、成長も非常に遅いため、中には300年を超える樹齢のものもあるといわれています」
遊歩道を進むと「四天王杉」や「大黒杉」、「象牙杉」、「羽衣杉」などがある。厳しい風雪に耐えて残っているだけあって、どの杉も迫力がある。説明板に推定樹齢が書いてないのが残念。
象牙杉 羽衣杉

大野亀で昼食にするので外海府の石名へ出ることにした。下りを進むと1台の車が上がってきて通り過ぎる。進行方向に大型のショベルカーが見える。車を降りてショベルカーの運転手に聞くと、先日の雨で斜面が崩れて通行止めとのこと。「通行止」の表示は途中に出してあると言うが、兄も小生も全く気がつかなかった。仕方なく引き返す。下って来る車がある。車を降りて通行止めと伝える。この車は少し下ってからUターンしてついて来た。駐車場へ戻り後ろの車はお礼を言いながら馬首方面へ下りて行った。駐車場に車が駐車している。母と娘の二人連れで通行止めの件を話した。トイレの前のフェンスに「石名側土砂崩壊発生 石名側通行止」の小さい紙(A3くらい)が貼ってあった。これじゃ誰も気がつかない。先ほどの母と娘さんにも相談し、石名方面へ行く道の中央にバリケードを置いたほうが良いと決めた。遊歩道の案内看板近くにある「遊歩道環境整備工事」のプレートと柱をバリケード代わりに使った。さらに「通行止」の紙をトイレの前からはがしてバリケードに貼り付けておいた。こうしておけば車でやって来て石名方面へ行こうとする人は理解できるはずだ。管理している「佐渡地域振興局 農林水産振興部」も工事業者も無責任過ぎる。結局、昼食は馬首川の河原で食べた。兄は帰宅してから農林水産部へ電話して対応のまずさを指摘していた。
バリケード

佐渡一周完歩を祝い中学時代の友人が飲み会を21日にアレンジしてくれた。旦那さんとラーメン屋さんをやっている同級生のM子さんに明日の飲み会の件を知らせに行った。旦那さんが「今日の新潟日報に佐渡を歩いた記事が載っていますよ」と言う。実家は朝日新聞なので何日の新潟日報に記事が載るのか知らなかった。彼女は店もあり飲み会に参加をためらったが、旦那さんが「せっかくのお目出度い飲み会だから参加してこいよ。俺も明日の夜 友達と飲むので早めに店を閉めよう」と言う。明日は三連休の初日なのに店を早めに閉めていいのかと思いながら二人の気持ちが嬉しかった。
フェリーターミナルで新潟日報を買って実家へ戻る。実家の前で撮った写真入りの記事が載っていた。見出し「故里の良さ再発見 地元出身の神蔵さん 10日かけ徒歩で島一周」とあり、自分のことが記事になっているのは面映い感じだ。

友との飲み会 9月21日(土)
神明町の居酒屋を貸切りにして午後6時半から飲み会を始めた。今年3月の東中学校の同期会(39悠友会)で会った人たちや同窓会に出れなかった人たちもいて懐かしい顔ばかり。昨日の新聞を見た友だちもいる。参加した友だちは1人(神奈川・相模原市在住)を除き佐渡に住んでいるが島内で知らない集落が多いと言っていた。歌ったり踊ったり、又、中学時代の思い出話で盛り上がった。女将さんもいい人で貸切りの時間を過ぎても店を使わせてくれた。居酒屋を出てから男4人で2次会。2次会の店を出てからラーメン屋でビールとラーメン。結局、午前様で実家へ帰った。

浦川のMさん 9月22日(日)
歩き旅の初日にMさんの家へ行ってみたが外出していて会えなかった。彼女に連絡して路線バスに乗り会いに行った。久し振りに色々積もる話しができた。彼女は写真と絵画を趣味としていて大きな絵を何枚か見せてもらった。お孫さん三人が遊んでいて息子の子どもたちを思い出して写真を撮った。佐渡コシヒカリの新米を後日送ると言うので5kg位と思っていたらなんと30kg送ると言う。玄関に30kg入りの米袋が何袋かあった。我が家は老人三人の所帯なので多すぎると断ったが「子どもたちへ分けてあげればいい」とあっさり言われてしまった。
女性がMさんの家へ来た。帰りの路線バスの時間も近くなったのでMさんと別れ石段を下ってバス通りに出たらバス停の先を路線バスが走っている。定刻の時間より2〜3分早いのではと思ったがどうしようもない。車で送ってもらえないか頼む為にMさんの家へ戻った。先ほどの女性が両津の家へ戻るので一緒に乗せてもらうことになった。話してみるとなんとこの女性のIさんは兄嫁の友人だった。世間は狭い! 車内に加藤登紀子の「知床旅情」が流れている。自転車で北海道を旅行した時によくこの曲を歌っていたと彼女に話す。彼女は加藤登紀子のファンで佐渡でコンサートがあった時に小生の実家の兄嫁と聴きに行ったとのこと。世間は狭い!!
Mさんのお孫さんたち 後日送られてきた佐渡コシヒカリ

Iさんから夷の喫茶店まで送ってもらった。喫茶店で帰省中のT君(中学の同期会「39悠友会」代表幹事)と会う。後からE君(歩き旅の最終日に彼の家へ寄った)と帰省中のR子さんも加わり来年の同期会について話し合う。

新潟日報の記事(下のXをクリックするとPDFが出る)
新潟日報
9月20日の新聞に佐渡一周の記事が載ったので何人かの友人から新聞を見たとの連絡があった。やはり、新聞に記事が載ると反響がある。実家の兄や兄嫁も友人や知人から新聞を見たと連絡があったそうだ。新潟日報の朝刊は佐渡を初め県内各地域(長岡や上越など)のニュースが載っている。その為に新発田市在住の兄は友人から「新聞を見たが、ひょっとして親戚?」と言われたとのこと。檜ヶ谷君(学生時代の友人・新潟市在住)が記事をPDFにして送ってくれた。

松浦武四郎の「佐渡日誌」
東京へ戻ってから月布施の小路さんから松浦武四郎(まつうら たけしろう)が書いた「佐渡日誌」のコピーを送っていただいた。北海道の名づけ親として名高い彼が佐渡を歩いてその記録を残していたとは知らなかった。第二回北海道の旅(2005年7月)で「支笏湖ビジターセンター」へ行ったが、松浦武四郎に関するコーナーがあった。
現代語訳にした佐藤淳子(さとう あつこ)さんは、1947年2月 佐渡市新穂舟下生まれ、1969年3月 新潟大学教育学部卒、1959〜2005年 小・中学校の教師を歴任、現在は北海道紋別郡遠軽町に住んでいる。
「佐渡日誌」/北海道出版企画センター(2009年11月発刊)より
・松浦武四郎1818〜1888年(文化15〜明治21年)
伊勢国一志郡須川村(現在 三重県松坂市)に郷士の四男として生まれる。17歳からおよそ10年間にわたって諸国遍歴の旅に出、28歳の時に初めて蝦夷地に渡り、太平洋岸を経て知床に至っている。武四郎は、1845〜58年まで北海道・樺太・クナシリ・エトロフなどを6度にわたり調査し、幕府の雇いとなり北海道の内陸調査にあたった。弘化4年(1847年)、蝦夷地からの帰り5月下旬に渡海、脇の沢〜黒石〜弘前〜深浦〜秋田〜新潟に至り、佐渡にわたり7月24日(新暦9月3日)から約1か月をかけ佐渡を一周した。その後、出雲崎〜長岡〜日光〜足利を経て11月に江戸に帰っている。
・7月24日:両津に着。新潟より76キロメートルとも100キロメートルともいわれているが76キロメートルほどが実説らしい。一列に市や町が連なり、上方は加茂湖、下方は海で町の中にひとつの橋があり、これを両津橋という。長さは80メートルほどで南は湊村、北は夷村、故に二つをつないでいるのでここを両方の津、つまり両津といいこの橋を両津橋という。<>人家296軒、石高56石という。農家と漁家が入り混ざって、随分繁昌の土地である。街の中に勝廣寺、一向宗で寺も大きく、法華宗の妙法寺、釈迦院、華蔵院、円阿弥寺など真言にしていずれも皆立派な構えの見事な寺院と見える。<八幡宮>この町の産神である。宮の後ろは越の湖、岸には葦が繁茂していて、信に風景が良く、石の鳥居や燈籠が並列して立っている。社司に聞くことには、この場所は、渋谷十郎左衛門という人の跡地で、その人は足利時代に佐州の四家名主に命ぜられたがいつからともなく本間氏に統一されたそうだ。
・7月25日:<夷町>人家208軒、石高45石。漁家。農家入混じり、また商家もある。一筋の町を300メートルほども過ぎると裏町も少々あって、これより右は海岸、左は新夷町といって農家が多い。いずれも繁昌している土地である。海岸に沿って漁家が多く、また鍛冶屋、大工など職人がいろいろな職種をもって暮らしている。裏に入ると、産神として諏訪神社の鳥居が見事である。寺院は、正覚寺、延命寺、金剛院、禅真言という。

十首
・海わたり母の七回忌終へてから島の北へと歩き出すかな

・波消しのブロック積めるトレーラー轟音残し漁港へ向かふ
・北端の「願」ねがいといふ土地歩きしに真冬の怒濤に思いをはせる

・休憩後ザックを膝に立ててから声あげ一気に背負ひたるかな

・英軍の輸送機不時着せし辺り爆音聞こゆる気がして佇む

・父島と同じ溶岩小木にあり二つの島は遠く隔つとも

・台風を避ける数隻の船ありて街灯のやうに沖に煌く

・秋祭り畦道進む大獅子の尻尾つかみて少年歩む

・貸しきりの酒場に集う友はみな半世紀前と変わらぬ笑顔

・信号待つわれも群衆のひとりなり島を旅せし日々は遠くに



佐渡一周歩き旅


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