6月26日〜7月1日


13日目:6月26日(金) 快晴 走行距離/累計86km/732km
オッテンビィ ⇒ ボリーホルム(Borgholm)
宿泊:ボリーホルムYH
オッテンビィYH
早朝庭に出ると椅子に座って遠くの林を見ている男性がいた。隣に座り話す。56才(とても落ち着いるので65才の聞き間違いと思い聞きなおしたが56才だった)で自然が好きで夏休みはいつもここでゆっくり過ごしているとのこと。
髪と髭が長く昔のヒッピー風のこの男性「鳥はいいぞ〜。好きなように飛んでいる。何も制限するものはない」 私「国境も関係ないしね」。彼はさらに「冬は森へ入るのが好きなんだ。オオカミもいるぞ。自然のままが一番だ」。
彼が言うセリフは風貌からも神がかって聞こえる。

強い向かい風の中を走りると平原の遠くにエーケトルプ要塞が見えた。発掘調査の後の1984年に鉄器時代や中世時代に使用されていた材料や建築方法によって復元された要塞である。要塞の中に博物館があり出土品が展示されていたが説明文はスウェーデン語のみで英語がなく残念だった。
当時の衣装をまとった係員が団体客に説明している。

エーケトルプ要塞

エーケトルプ要塞

エーケトルプ要塞

右手に海を見ながら強い向かい風をボリーホルムの町へと走る。風車が5基並んでいる傍にお土産屋さんがありアイスクリームを食べながら休憩。
ボリーホルムYHに到着後、街を散策し港のレストランで夕食。

風車

ボリーホルムの教会

部屋へ戻る。2段ベットが5つの10人部屋だが小生を入れて3人のみ。
ジャンパーの背中に「マスタング」と大きく書いてある中年の男性は車のディラーかと思ったが明日から「スウェーデン・マスタング愛好会の45周年総会」がこの町であるのでウプサラから来たそうだ。
もう一人はヨテボリの近郊から来た人で名刺には「ヨテボリ郡役所・公衆衛生担当専門官」とある。
3人で雑談の後、ベットへ戻り寝ようとしたが二人はまだ話していてスウェーデン語なので内容がわからないが「マイケル・ジャクソン」と聞こえる。多分、マイケル・ジャクソンが事件を起こしたか事故に遭ったのだと思った。


14日目:6月27日(土) 快晴 走行距離/累計82km/814km
ボリーホルム ⇒ グランクラヴィック ⇒ ヴィスビィ/ゴットランド島(Visby/Gotland)
宿泊:ヴィスビィ刑務所YH
YHを出て郊外にあるボリーホルム城跡へ行く。受付前で母子4の人サイクリストに会う。どこかで見た人たちだなと思い声をかけるとカールスクローナの観光案内所の前で会ったポーランド人の母子だった。
城の起源は1100年末頃でカルマル海峡を監視するためであった。スウェーデンとデンマークの戦争で双方がこの城の占領を繰り返したり、1675年のスコーネ戦争ではデンマークとオランダの連合軍からの標的ともなった。
松尾芭蕉が平泉の古戦場で詠んだ「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」を思い出す。

ボリーホルム城跡

ボリーホルム城跡

ボリーホルム城跡

城を見学の後、島の北端のグランクラヴィックへ走る。ここからゴットランド島のヴィスビィへ行くフェリーが午後3時50分に出港。フェリー乗り場へは思ったよりも距離があり道も複雑で出港時間に間に合うかどうか微妙になってきた。

136号線へ出て前を走るバスを追う。バス停から降りてきた中年の女性に地図を見せて聞くと、「家へ来れば主人が詳細な地図で教えてあげる」と言う。家へ歩いて向かう彼女について進むが時間の関係で寄れないので道を聞きお礼を言って走る。
彼女の教えてくれた道は本線と違い車の少ない田舎道でよかった。もう時計は見ないことにしてひたすら前へ走る。向かい風のなか4人の孫の名前と「おじぃちゃんは頑張っているぞ!」とのセリフを何度も叫びながら自分を元気づけて必死にペダルを漕いだ。


ゴットランド島へのフェリー
入り江の向こうにフェリーが見える。入り江とフェリーの風景がよくて写真を撮りたいが諦めて乗船口まで急ぐ。女性の事務員が「貴方の来るのを待っていたのよ」と笑いながら言う。最後の乗船客か? 岸壁のフェリーへ自転車を押して行くと後ろからもう急ぎ足の乗客が1人ついてきた。出港10分前にかろうじて乗船することが出来た。

フェリー内の自転車

船内

1時間半の船旅でヴィスビィに到着。宿泊は港の近くの刑務所YH。名前の通り以前は刑務所だったが当時の雰囲気を残してYHとして利用されている。多くの若者が宿泊していた。

刑務所YH

刑務所YH


15日目:6月28日(日) 快晴 走行距離/累計0km/814km
ヴィスビィ市内観光
宿泊:前日と同じYH
ゴットランド島はスウェーデン最大の島(3,140平方キロ)であり、「バルト海に浮かぶ真珠」と称され夏場の今は多くの観光客で賑わうリゾート地である。
ヴィスビィは12世紀から15世紀にはハンザ同盟の貿易港として繁栄した。14世紀半ばにデンマークに占領された後、17世紀半ばに再びスウェーデン領となったがハンザ同盟の衰退とともに繁栄は終了した。

世界遺産に登録されているハンザ同盟都市のヴィスビィはぜひ訪れたいところだった。又、宮崎駿監督のアニメ「魔女の宅急便」のモデルの一つとなった街でもある。
観光案内所で地図をもらい「バラと廃墟の町」と言われる市街を見て回る。
フィスカーグレン(漁師小路)の狭い道を歩くと小さな家々の軒先にバラの花が咲き乱れている。
通りの向こう側にサンタ・マリア大聖堂の尖塔が見える。

漁師小路

漁師小路

漁師小路

現存する教会や多くの教会の廃墟を見て回る。
サンタ・マリア大聖堂(1225年創建)はハンザ同盟の繁栄していた頃に建てられた。16世紀にリューベックの攻撃で大半の教会が破壊されたがこの大聖堂はドイツ商人のために建てられた教会なので破壊を免れた。
大聖堂の礼拝堂にバルト海の海難事故で亡くなった人々を追悼する銘盤(犠牲者の名前が書いてある)を見る。
2004年12月のスマトラ沖大地震・津波の時にタイのリゾート地へクリスマスバカンスに来ていた多くのスウェーデン人が津波で亡くなった。この島の住民の6人も亡くなったが犠牲者の追悼銘盤があった。
教会の各廃墟は神秘的で荘厳な雰囲気がある。

サンタ・マリア大聖堂

サンタ・カタリーナ教会の廃墟

セント・クレメンス教会の廃墟

石壁の外側
火薬塔
ハンザ同盟時代の砦や石壁が旧市街を取り囲んでいる。
北門から石壁の外へ出てみる。起伏に富んだ緑の遊歩道が海の方まで延びていて散歩やハイキングするには気分の良い場所だ。
しばらく歩くと1100年代に建てられたヴィスビィ最古と言われる塔があった。白い塔にオレンジ色の屋根で火薬庫として使用されたこともある。

ゴットランド歴史博物館へ行く。5世紀から6世紀の彫画・石碑やヴァイキングの遺品などがあり興味深く見学した。

夕食はラム・ステーキと地ビールに決めていたので石畳の道を散策しながらレストランを探す。屋外にテ−ブル席がある雰囲気のよいレストランが多く、選ぶのに苦労する。
ラム・ステーキに大盛りのフライドポテトもついている。地ビールの「ヴィスビィ・ビール」も美味しく大満足!!

レストラン

ラム・ステーキと地ビール

夕食後、近くのアルメダーレン公園へ寄ると、大勢の人がいて演説を聞いている。どこかの政党の集まりのようだ。プラカードを持ち声をあげているグループもいる。(後日確認した内容:毎年夏になると、「アルメダーレン・ウィーク」という政治イベントがこの公園で1週間かけ開催される。与野党7党の党首が日替わりで演説する。原則、誰でも無料で参加できる。政治家と一般市民が色々な問題を直接討論できる場である。)

アルメダーレン公園

政治団体


16日目:6月29日(月) 快晴 走行距離/累計91km/905km
ヴィスビィ ⇒ ファロースンド ⇒ ファロー島
宿泊:ファローYH&BB

刑務所YH・螺旋階段

刑務所YH・部屋
ヴィスビィ刑務所YHHは1859年から1998年まで刑務所であった。
閉鎖後に独房28室のベットの入れ替えや壁の張替えを行いホテル兼YHとしてスタートした。
受付の女性は空手を習っていたそうで「イチ・ニー・サン」とか「レイ、ハジメ」と言って笑っていた。
2段ベットの部屋(独房)は狭く2人では窮屈過ぎるのでシングルユーズで予約しておいてよかった。
この狭い部屋に一日中いたら精神的にまいるだろう。小生の部屋は2階にあったが窓に鉄格子があり高い外壁が見える。部屋には不似合いな派手な色のカーテンが面白かった。
廊下の壁に刑務所時代の何枚かの白黒写真(英語の説明文付き)があり、何回も脱獄した囚人や死刑囚の写真があり死刑囚の場合は処刑方法も書いてある。全ての写真をデジカメに撮った。
昨夜、部屋で写真を見ていたら怖ろしくなり囚人に関する写真は全て消去した。写真を残していたら間違いなく夜中にうなされていただろう。


ファロー島へのフェリー
刑務所YHを出発してから海岸沿いの道を走る。快適な自転車専用道路を進むと大きなキャンプ場で道が途切れた。キャンプ場の売店の若者に道を聞くと「アルバイト中の学生なのでこの辺の地理はわからない」と言う。やむなく車の多い本線を走る。
小さな港に貨物船が接岸中、遠くに見える風景は北海道の寿都湾に似ている。

ファロースンドからファロー島へのフェリーに乗り込む。道路の延長なのでフェリー代は無料で10分位で島に着いた。
この島はスウェーデンの劇作家・映画監督のイングマール・ベルイマンがこよなく愛した島で、彼はここで亡くなりこの島の教会に墓もあるそうだ。

YHの受付の女性が「今年、日本人はあなたが2人目です」と言う。こんな小さな島へ来る日本人もいるのか!?
部屋のある棟の前で休んでいると同じ棟に泊まっている年配の男性がいたので話す。「これから夕食なので一緒にどうですか?」と聞いてくる。思いがけない申し入れで有難くお受けする。棟の外にあるテーブルとベンチに料理を終えた奥さんが待っていて夕食開始。
ストックホルムから北へ400kmのTIMRAから来ている夫婦で男性は67才、奥さんは?。奥さんは「息子が6人いる」と言いながら笑う。最初の夫との息子が4人と今の夫との息子が2人の計6人!!
茹でたジャガイモ、ポーク・ステーキ、ギリシャのチーズとトマト、それに赤ワインと白ワインを楽しむ。食事後にご馳走になったお礼に台所で食器を洗う。二人はレンタサイクルでサイクリングに行ったが夜9時でも明るいので彼らのスタイルなのだろう。

招待してくれた夫妻

夕食

赤と白の箱ワイン


17日目:6月30日(火) 晴 走行距離/累計81km/986km
ファロー島 ⇒ フェリー ⇒ ファロースンド ⇒ ヴィスビィ ⇒ ニュネスハムン(Nynashamn)
宿泊:ニュネスハムンYH
朝5時頃目が覚めたので島をサイクリングする。
早朝なので道路は貸しきり状態。野兎が道路の先をピョンピヨンと飛び跳ねる!キジや多くの野鳥がいる。牧場の馬。海岸へ出て休憩するが誰もいなくて静寂そのもの。イングマール・ベルイマンの愛した風景があった。
今日はヴィスビィからフェリーに乗るがエーランド島からフェリーに乗った時のヒヤヒヤ・ドキドキはもうしたくないのでYHを7時半に出発する。

YH

ファロー島内

ファロー島内

ファロースンド港から海岸沿いの道でなく内陸の道を進む。道の両側はお花畑で目を楽しませてくれる。車も少なく真っ直ぐな道それに今朝早く起きてファロー島内をサイクリング(20km)した疲れもありウトウトしてしまう。居眠り運転は危険なので歌を歌って眠気防止に努める。

ファロースンド港

お花畑

植木屋さん
植木屋さんへ寄る。おばちゃん一人が売り場にいてお客さんの応対をしている。コーヒーを飲めるコーナーがありコーヒー12SEK(約150円)を頼み20SEKの紙幣を出した。おばちゃんがケースの中にある何種類かの小さなスウィーツを指差して「8SEKなのでこれも一緒だと20SEKになるよ」と言うのでそのようにした。なかなか商売上手なおばちゃんだ。
コーヒーを飲み終えて出ようとするとおばちゃんが苺が沢山入った籠を持ってきて「食べて」と言う。有難くご馳走になる。いいおばちゃんだ!

今朝早くYHを出たので時間の余裕を持ってヴィスビィに到着。フェリーの出港までマックで時間をつぶす。
港には大型フェリーが3隻接岸しており苫小牧東港のフェリーターミナルのようだ。
ニュネスハムン行きのフェリーに乗船する。港を離れデッキから陸を見ると2隻のフェリーとサンタ・マリア大聖堂の尖塔が見える。この島へ来て本当によかった。

ヴィスビィ港

フェリー

フェリー

ニュネスハムン港に着いた。サイクリング中の人がいたので道を聞くと、「途中までだが教えてあげるから俺の後ろについて来て」との返事で彼の自転車について行き交差点で別れた。
YHに荷物を置いて港近くにある観光案内所に行きストックホルムまで自転車で行く道順を相談するとサイクリングマップがあり買う。


18日目:7月1日(水) 雨後晴 走行距離/累計91km/1,077km
ニュネスハムン ⇒ ストックホルム(Stockholm)
宿泊:シュップスホルメンYH
朝から雨。ホンダのバイクで出発しようとしている人がいたので話す。デンマークの人で女の子2人いるお父さん。来年以降にデンマークを自転車旅行すると伝えるとその時は連絡してくれと住所を書いてくれた。
3人連れの中年女性と話す。近くの島で1週間ハイキングをするとのこと。私がストックホルムの後にヨテボリからヘガネス(親会社のある町)へ行くと話すと、背の高い1人の女性が「その途中に住んでいる。その頃は家へ戻っているから寄ってもらいたい」と言う。その女性は名前と住所や電話番号を教えてくれた。

ニュネスハムンYH・ホンダ

ニュネスハムンYH・3人連れ

ニュネスハムン郡
丘の上の家

朝から雨なので無理せず電車かバスでストックホルムへ行こうと思い受付で相談すると、「ここから10km先の北は晴れているよ」と言うので雨具を着て自転車で出発。車の多い本線は避けてサイクリングマップを頼りに雨の中を走る。

サイクリングマップはあるのだが何度も道に迷った。
海から遠く離れた山の道を走っていると、ヨットのある家が丘の上にあった。こんな場所でヨットを見て驚いたが大小の湖が多く湖で帆走するのだろう。
湖が見えたので地図で確認し先へ走るが途中家もなく不安になる。やっと1軒の家を見つけ庭にいた中年の夫婦に道を聞くと親切に教えてくれた。さらに「水がいるのだったら家で入れたらどうですか」とまで言ってくれた。

やっとストックホルム郊外に着いた。遠くに教会の尖塔が見える。中心街までの道が分からず何人にも聞いたが、英語が話せない移民(中近東やアフリカ系)の人も多く苦労した。毎年12月の第2週に行われるノーベル賞受賞者が宿泊する「グランドホテル」の前を通り、帆船のYHであるアフ・チャプマン号を見て到着。
このユースホステルの正式な名前は「アフ・チャップマン・アンド・シェップスホルメン・ユースホステル」。受付のある陸上の建物(元兵舎)と帆船から構成されている。ガムラスタン(旧市街)の対岸にあり中心街にも近く人気のあるYHなので日本で予約しておいた。今晩からの2泊は陸上のシェップスホルメン、後の2泊はアフ・チャプマン号(帆船)にした。
コペンハーゲンを出発してストックホルムまで約1,100km走ったことになる。

ストックホルム郊外

ストックホルム

帆船YH


7月2日〜7月7日


スウェーデン南部の旅(2009年6-7月) 


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