第1回ボランティア 大槌町(おおつちちょう)・陸前高田市(りくぜんたかたし) (岩手県)2011年5月20日〜23日
1日目:5月20日(金) 晴
鍛冶橋駐車場(東京駅八重洲) 21時30分集合 22時発
車中泊
長靴が大きいのでザックに入れるとスペースの大部分を占める。東京駅に早めに行く。今月14日に八重洲地下街の居酒屋で大学時代に同じ寮だった同期生や後輩と飲み会をした。同じ八重洲地下街にある別の店で2次会をした。その2次会の店にデジカメを忘れてしまったので店へ寄りデジカメを受け取る。
駐車中のバスに乗り込む。40人の募集だったがキャンセルがあったのか36人だった。隣の席の人は同じ団塊の世代のSさん。ディーゼル発電プラントの据付でモンゴルへ出張した時の話を聞いた。退職後はウズベキスタンへ遺跡の発掘調査の手伝いに行っているとのこと。
Sさんは、神奈川県主催の「思い出探し隊」に参加し陸前高田市の民家で写真などの私物を探し出したそうだ。何箇所かのサービスエリアでトイレ休憩がある。午前0時から車内は消灯になるが眠れない。うとうとしているとガタンと大きな振動があり目が覚めてしまう。
2日目:5月21日(土) 曇
8時30分 大槌町災害ボランティアセンター着
宿泊:ホテルルートイン北上駅前(北上市)
北上江釣子インターで旅行会社の添乗員と北上社会福祉協議会の担当者が乗車。遠野市農産物直売組合の店で休憩の後に釜石市を通り大槌町へ向かった。釜石の市街地は壊滅的な状態。
大槌町災害ボランティアセンター(VC)へ到着。
何台か他のボランティアのバスが駐車している。ワッペンをもらい作業服の腕に貼り付ける。長靴やゴム手袋などを出して作業の準備をする。同じバスで午前中に作業する沢山地区へ行った。この地区は津波に襲われなかったのか家々は無事であった。
ワッペン 大槌町災害ボランティアセンター 大槌町災害ボランティアセンター
100mほどの道の両側にある側溝の泥出し作業を行う。側溝のコンクリート製の蓋は重く、若い人は1人で持っていたが、腰を痛めないように2人で持ち上げた。ヘドロ状の泥をスコップですくい、道に置いておき水分がなくなった状態で土のう袋に入れるがそれでもまだ水分が多い。土のう袋は近くのガレキ捨て場に持って行きそこに置く。女性の参加者も多く皆さん活動的だ。泥出し作業がほとんど終了間際に消毒用の石灰(袋入り)をVCに取りに行く為に若い4人と一緒にバスに乗りVCに向かう。
市街地を通るとテレビや新聞で見た光景が広がっている。テレビや新聞に出ていた町役場の近くも通る。被災地の写真を撮るのにためらいがあり、デジカメはバスの荷物室のザックの中に入れてある。
VCに着いて係の人と話すと石灰は軽トラで運ぶとのことで乗ってきたバスで作業場所へ戻った。
作業場では石灰を撒いているところだった。側溝の蓋をかぶせていくがやはり1人では重いので2人してかぶせていく。作業後に近くの浄水ポンプ場で靴や手袋を洗った。
バスへ戻る途中、小さな男の子が家の前で怪獣の人形を得意げに持っていたので、「すごい怪獣だね〜」と声をかけた。この子も津波を見たのだろうか、そしてもっと高い所へ避難したのだろうか。バスに乗りVCへ戻る。
VCの人が大きなブルーシートを敷いてくれ昼食のお弁当を食べる。Sさん(バスで隣りの人)と食べながら雑談。近くで食べている女性たちは府中市や西東京市から来ている人だった。午後はVCから歩いて製材所へ行き、回りのガレキを撤去した。大きな木や板、畳などが散乱していて釘に注意しながら作業をした。Sさんは鋸を持っていて木や枝を切っていた。作業を終了しVCへ戻りバスの傍で着替える。
今晩泊まる北上駅前のビジネスホテルへ向かう。途中、道の駅で休憩しホテルへ到着。部屋(シングル洋室バス・トイレ付)でシャワーを浴びた後にSさんと夕食の為に外出する。「みちのくらーめん」の店へ入る。地元の人が多く入っていて美味しい店と確信した。ビール1本をSさんと分ける。
今月は4回も飲み会があり深酒し友人宅へ泊まったことや午前様(午前3時頃帰宅)の時もあった。幸いなことにSさんはビールをコップ1杯で十分という人であった。Sさんと同じ「ミソネギラーメン」にする。美味しかった。
3日目:5月22日(日) 雨のち曇
大槻町災害VC 8時30分着 陸前高田市災害VC 12時30分着
車中泊
朝から大雨。ホテルで朝食の後に駐車中のバスに乗車。昨日は被災地の写真を撮らなかったが、孫たちに「おじいちゃんはこういう場所でゴミ掃除をしたのだよ」と伝えるのには写真もあった方が良いと思いデジカメをウェストポーチに入れた。
但し、被災者自身や被災した自宅の前にいる被災者の写真は撮らないと決めていた。係の人が「雨なので今日の作業はどうなるか不明だが、大槌町災害VCへ行ってからわかるのでVCへ行きます」とアナウンス。小雨の中を昨日と同じく遠野から釜石を通り大槌町災害VCへ到着。係の人がVCから「本日の作業は中止」と言われて残念ながら諦めた。係の人は近隣の市町村の災害VCと連絡を取り陸前高田市で作業が出来ることになった。係の人が「どうしますか?」と聞いたので我々は拍手で賛成の気持ちを表した。 大槌町の中心街を通るが、家々はまったくなくガレキが所々に積み上げてある。町役場が残っていた。大地震の後に町長はじめ職員が対策会議を開いている時に大津波が役場を襲い町長や職員の方は犠牲となった。
民宿の屋根に乗っている遊覧船がよく報道されていた。この遊覧船は釜石市所有で大槌町のドックで定期検査中に大津波により流されて2階建ての民宿の屋根に乗って止まった。5月10日に2カ月ぶりに屋根から下ろされて現在解体中である。途中、道の駅へ寄り昼食を積んだ車を待つ。雨の中、釜石の港のそばを通るがここの被害も大きい。岬の上に白い大きな観音像が立っているが地震による被害はなかったように見える。被災した車両の置き場に沢山の車両がある。大船渡市の海沿いを通るがここも同じく壊滅状態。三陸鉄道の駅舎や線路が無くなっている。
大槌町 釜石 釜石港
陸前高田VC 陸前高田市へ入る。自衛隊の臨時駐屯地がありジープやトラックなどの車両と多くのテントがあった。 陸前高田市災害VCへ到着。プレハブが3棟ありスタッフも多そうだ。バスの中でお弁当を食べてから作業する場所へ向かう。
作業現場の周辺
老夫婦の住む住宅の跡片付けをする。母屋と離れの小屋の建物は津波で流されてコンクリートの土台だけが残っている。裏の斜面には津波で流されたものが散乱している。
「平成15年度幼児水泳教室申込書(控)」の紙切れがあった。斜面には筍が多くあり、いつもの季節であれば筍を取り味を楽しんだだろうに。一輪車にガレキやゴミを乗せて近くのゴミ捨て場へ捨てる。大きなコンクリート製の用水路が木々や泥で埋まっていてスコップで取り除く。裏山への道にワゴン車があり道をふさいでいる。裏山での作業に一輪車が必要なので車を何人かで持ち上げスペースを作ろうとしたが無理。結局、車は動かさずに山の斜面をスコップで削り車との間に一輪車が通るくらいスペースを作った。休憩で家の土台のところへ行くと老夫婦が缶コーヒーや缶サイダーを持って来て「飲んで下さい」と言う。我々はボランティアでありこのような申し出に恐縮したが折角のご好意なので有難くいただくことにした。奥さんがぽつんと「裏山へ逃げる前に近くの人たちに大声で逃げて〜と叫んだが津波の大きな音で聞こえなかったのか逃げてこなかった。前にあった津波の経験から2階へ避難した人たちもいたが家ごと流されてしまった。津波はこの地区を渦を巻くように回っていた」と語る。休憩後に裏山に向かう。軽ワゴン車がガレキに埋もれている。後日の撤去の為に軽ワゴン車の周辺のガレキを取り除いた。 車内に領収書の束があり係の人に手渡した。1本の木が邪魔なのでチェーンソーを持った人に切ってもらう。チェーンソーの音が響く。全ての作業を終了しバスに戻り着替える。ボランティア全員が老夫婦と一緒に写真を撮る。バスが発車すると老夫婦は手を振り見送ってくれ車中の我々も手を振り挨拶をする。
作業現場 山道の車 裏山の軽ワゴン車
高田松原への道路標識 陸前高田市災害VCで手洗いやうがいをした後に北上市へ出発。交差点に「日本百景 高田松原 ここより約4km」の看板があった。
愛知県警の車両
大震災後、この松原は何回も報道されていた。砂浜に約2キロにわたり7万本はあったと言われる樹齢200年以上の松原だったが、大津波により流されてしまい1本だけ残った。栃木県警のパトカーが何台も道の傍の広場に駐車している。
休憩した道の駅では駐車中の愛知県警・機動隊の数台の車両が出発するところだった。
北上市へ戻りスーパー銭湯へ行った。お風呂に入り広間で夕食。昨晩と同じくビール1本だけにしてSさんと飲む。男性1人が加わる。大震災の時は駐在先のインドネシアにいてTVで津波のシーンを見て驚いたとのこと。彼は山男で駐在中にコキナバル山(マレーシア)へ登ったそうだ。隣りで食事中の夫婦が話に加わり山談義となる。さらに西東京市の女性も加わる。午後8時半に出発。途中、何カ所のSAに寄って休憩。
4日目:5月23日(月) 曇
東京駅前 4時30分着
零時になり車内は消灯したがやはり眠れない。時間調整でSAに1時間いた時に運転手さんに「最後尾の席が空いているので移動します」と伝え移る。足が十分に伸ばせて眠ることが出来た。行きも帰りも早くからこの席で寝ればよかった。朝4時半頃に東京駅前に到着。Sさんは新宿まで行くとのことで一緒に中央線に乗るが、この時間帯は快速でなく各駅停車のみ。
新宿駅でSさんは下車。お腹がすいたので三鷹駅で下車し構内の「そば屋」へ行くが閉まっていた。駅員さんに聞くと「6時頃から開店かな」と言うので6時まで待つが開く気配なし。
電車で武蔵小金井駅へ。北口にある「そば屋」へ行こうと思い信号のある横断歩道で待っていた。向こう側に駅へ向かう甥がいた。彼はザックを背負って長靴の入った大きなビニール袋を持った小生を見て驚いて「おじさん!」と一言。
結局、「そば屋」はまだ開店してなかった。南口のマックでコーヒーを飲みながら今回のボランティアのメモを取る。9時頃にマックを出てもう1度 「そば屋」へ行って念願の「そば」を食べた。10時頃に帰宅。