石垣島その1 
7月8日〜7月11日  4泊5日



16日目:7月8日(金) 快晴 走行距離/累計44.9km/761.4km
宮古空港 ⇒ 石垣空港 ⇒ 唐人墓 ⇒ 御神崎(うがんざき)⇒ 川平(かびら)
宿泊:民宿「前高屋」(川平)


石垣空港
RAC(琉球エアコミューター)831便。宮古空港発11:25。通路を挟んで片側2席の39名乗りで満席。機長、副操縦士とキャビンアテンダント1名の計3名。飛行時間25分であっという間に石垣空港へ到着。

空港の外で自転車を組み立てる。チェーンが8の字のループになっていてリアの変速機を外してループを解消。変速機を取り付けようとすると取り付けネジが入っていかない。ネジの近くに小さな突起が邪魔していてこの突起は小さな+ネジでとまっている。ドライバーを持参していないので航空会社のカウンターでドライバーを借りてネジを調整後に変速機の取り付けを完了した。

唐人墓

空港の観光案内所で川平地区の民宿3軒を教えてもらい前高屋へ予約する。

唐人墓を目指して市街地を海岸沿いに進む。極彩色の唐人墓があった。この墓の由来:1852年(元禄5年)、中国アモイから400人の労働者がカリフォルニアへ船で送られる途中、その過酷な仕打ちに反乱し、船は石垣島沖に座礁、380人が島に上陸。彼らはその後に派遣されたイギリス兵により殺害されたり捕虜になった。現在の墓は、1971年に琉球政府と島民が建てた。
同じ敷地に「平和祈願之碑」などがある。

「島豚カレー」の幟がある。御神崎へ行く前にこの幟のあるレストランへ入る。午後3時以降は「八重山そば」のみとのことで仕方なく「八重山そば」を注文した。店の人にカレーを食べたかった旨話すと厨房へ頼んでくれて「島豚カレー」を出してくれることになり感謝感激。

御神崎への道はアップダウンが厳しい。坂道を喘いで漕いでいる傍をすいすいレンタカーが何台か追い越していく。御神崎は公園になっていて灯台がある。天気が良ければ西表島、鳩間島、小浜島が一望できて最高の景色なのだが残念ながら曇で島々は見えない。
御神崎 御神崎灯台

観世菩薩像
灯台の敷地に「南無観世菩薩像」がある。昭和27年12月8日 八重山丸が那覇からの帰途、御神崎南西2600mの沖で遭難沈没し死亡行方不明者35人を出した遭難事故があった。
碑文
「この菩薩像は八重山丸遭難者遺族の会が海難で犠牲となった人々の御霊に対し白浄の信心を発して無上の菩提を祈求精進によって御霊の平安と船舶の航海安全を願って建立した。昭和51年12月8日」

川平へ走っていたら雨が激しくなってきたので売店の前の大きなパラソルの下で雨宿り。売店の人が店に鍵をかけて車で帰って行った。

民宿前高屋へ到着。大きな窓のある食堂で夕食だが、種類と量も多い。宿のオーナーは東京の東久留米の出身のようだ。男性1人と女性2人のお客さんと一緒に食事する。男性は富山から虫取りが目的でこの宿に4日目、1人の女性は東京から今日着いたがダイビングで何回かこの宿に来ているリピーター。 もう1人の女性はベルギー人でロンドン大学で日本語を学んだ後に同志社大学で日本語と政治学を勉強中の交換留学生。



下がり花
望遠鏡
夕食後に宿のオーナーがナイトツアー(下がり花と石垣島観測局の望遠鏡の見学)に我々4人を連れて行ってくれた。
宿の車に乗り夜道を「下がり花」のある場所へ行った。花の持ち主がライトアップしていて良い香りが漂い白やピンクのきれいな花が咲いている。この花は川沿いの湿地などに夜咲いて翌朝花びらを散らすそうだ。今朝散った花びらが水面に敷き詰めたようになっている。虫取りの男性は皆が「下がり花」を見て感動しているのに大きな虫取り網を持って少し離れた街路灯の下にいて虫を探している。少年のような人だ。
石垣島観測局の望遠鏡は、正式には国立天文台の天文広域精測望遠鏡で日本に3カ所しかなく三次元的に星座を表すことが出来るとのこと。暗闇にライトアップされた望遠鏡は幻想的であり光年の時間単位の宇宙を想像させた。
オーナーがハブに関して注意する。雨上がり時に道の端を歩いていると人の体温を感じて噛み付いてくるそうだ。


17日目:7月9日(土) 雨のち曇 走行距離/累計33.3km/794.7km
宿 ⇒ 明石食堂 ⇒ 新や食堂 ⇒ 明石(あかいし)
宿泊:民宿「月桃の宿あかいし」
自転車少年と虫取り少年
富山の虫取りの男性(51歳)が採ってきたクマゼミを見せてくれて説明する。趣味とは面白い。このきれいな海で泳ぎも潜りもせずひたすら虫を捕まえて標本にしている。オーナー「虫取りはいいが、虫を殺すのは嫌だな」彼「生態系を壊すまで採っている訳でない。それより、ゴルフ場を作る時にそこにいる昆虫をすべて殺してしまう方が問題ですよ」彼のコメントに納得。 宿を出発前に彼と記念撮影。

川平湾へ行く。グラスボートに乗船するが、シーズン前でお客さんは小生1人のみで貸し切り。船頭さんから色々な話を聞く。彼の少年時代より川平湾のサンゴの生態は悪化していると嘆いていた。サンゴにも色々な種類があるものだ。大勢の観光客と一緒でなく彼と一対一の会話が出来て楽しかった。あいにく曇り空だったがそれでもきれいだった。晴天であればものすごくきれいなのだろう。
川平湾 サンゴ

川平湾から先へ進むと岬に洒落たレストランがあり小雨だが駐車場に車が多い。昼食は明石(あかいし)にある明石食堂で沖縄そばと決めていたのでこのレストランには行くつもりなし。学生時代に同じ寮だったNが石垣島に住んでいるので電話する。実は家から彼に電話しようと思いながら那覇や宮古島でも電話せず今日まできてしまった。小生「もしもし、1寮1階7室の神蔵です。覚えていますか? 沖縄をチャリで旅行中なんだ」彼(1寮1階10室)「覚えているよ。今、どこにいるんだ」私「石垣島にいてこれから明石食堂で昼食にしようと思うのだが一緒にどうか?」彼「わかった。車で行くから食堂で待ち合わせしよう」

明石食堂へ向かう途中に「島田紳助」の等身大の像があり彼が経営している喫茶店があった。通り過ぎてから像の前で記念撮影と思ったが、戻るのも面倒なので諦めた。

幻の明石食堂
友人N
明石食堂は昼飯時なのでお客さんの長い列。入り口にある紙に名前と人数を書いて待つが最低でも30分は待つだろう。Nが車でやって来た。卒業して40年振りに会うが学生時代と変わりなくすぐに彼と判った。並んで待つよりは別の食堂で食べようとなり自転車を置いたままで彼の車で別の食堂へ行く。その食堂はすいていて「トンカツ定食」を食べる。明日、彼の家(宮良)で泊まることになり明石食堂まで戻り彼と別れる。

明石食堂から近くに今晩の宿の「月桃の宿あかいし」があった。コンクリートの家が多い沖縄では珍しくどっしりとした木の家である。宿にビールはなく近くの公民館の売店で買ってきた。売店の近くに「開拓の碑」があった。宿の女将さん曰く「この土地は戦後 沖縄本島の各地から入植したが、大変な苦労をし開拓した。あえて宿にアルコール類は置かずお客さんが売店で買ってもらうことで地域にお金を落としてもらいたい」

夕食は地元料理で種類が多い。お客さんは男性3人と女性2人。男性の3人は神奈川県から来ていたパラグライダーの仲間だった。女性2人は高校時代の友だちで1人は奈良市役所に勤務しもう1人は東京農工大学農学部の大学院生で来年就職とのこと。大学の工学部は小生の家から近く農学部も隣りの府中市にある。彼女とは府中や小金井のローカル?な話をする。
月桃の宿あかいし 夕食(郷土料理)


18日目:7月10日(日) 晴れ時々曇 走行距離/累計57.5km/852.2km
宿 ⇒ 平久保崎(ひらくぼざき)⇒ 宿 ⇒ 玉取崎展望台 ⇒ N宅(宮良)
宿泊: N宅
平久保崎灯台
朝食
朝6時頃に宿を出て平久保崎へ向かう。車が通らずに快適。クイナを何度も見かける。友人のNの言葉「クイナはどこにでもいるよ。ただヤンバルクイナでないだけ」を思い出した。

平久保崎に到着。灯台がある。若い女性がいて灯台をバックに写真を撮ってもらう。大坂出身で縁があって石垣の男性と結婚しこちらで住んでいるそうだ。晴れていれば絶景なのだろうが残念ながら曇空であった。宿へ戻る途中に「パラグライダー」の看板があり宿の男性たちはここでパラグライダーをするのだろう。

宿へ戻りシャワーを浴びた後に朝食。男性たちはパラグライダーに出発。女性たちはダイビングショップの人が迎えに来て出発。他のお客さんは宿を出て行ったので女将さん(勝子さん)と世間話をする。彼女から聞いた話:旦那さんは水戸(茨城県)出身。旦那さんの母親が福島の特養ホームにいたが福島原発事故の為にこの宿へ避難して来た。福島が落ち着いてきたので旦那さんが付き添って母親を福島へ送っていって旦那さんは不在。勝子さんの父親は与那国島で教師をしていたが、戦後 学校にあった天皇の写真を燃やせと言われノイローゼ状態になったとのこと。

開拓の碑
玉取崎展望台
宿を出てから「開拓の碑」のある場所へ再度行き開拓当時に苦労した人々に想いをはせた。碑文に「明石開拓団 昭和30年4月12日入植 入植30周年記念事業として昭和60年11月吉日建立 先遣隊・・・・」とあり出身地と氏名が書いてある。傍に「開拓の詩(うた)」の石碑もあり1番から6番までの詩がある。1番「みどりの資源 海の幸 未開の沃土 地下の富 琉球の宝庫 八重山」。

玉取崎展望台へ寄る。多くの観光客がいる。シャッターを押してもらう。いつもの重い三脚はやめて小さな三脚を持って来たが、一度も使っていない。快晴でないので残念ながら遠くの景色が今ひとつ。



友人N宅
海岸の方に新しい空港の建設現場が見える道を進む。「白保さんご村」の看板があるが友人のNに電話する時間なので見学せずに白保中学校の前で彼に電話する。
バス停「宮良東」で待ち合わせすることになった。

バス停で待っていると彼がマウンテンバイクでやって来て、彼の後をついて彼の家へ行く。
広い土地と家。庭にバナナやパイナップルが生っている。さすが南の島と実感する。6年前に川崎(神奈川県)から移住して来たとのこと。彼の奥さんは東京生まれでスキーなどウィンタースポーツが好きなので石垣への移住の説得が大変だったようだ。奥さんは東京へ行っていて明日帰って来るとのこと。

彼とチャリで明日泊まる民宿「サントール」へ行く。彼は石垣島で家を探していた時にこの宿に長期滞在していたのでオーナーの「トールサン」とは顔なじみである。オーナーは埼玉出身で6年前位に民宿を始めたとのこと。
民宿の2人乗りのカヌーを借りて彼と宮良川をカヌーで遊ぶ。カヌーは昨年5月に小笠原の父島でやって以来だ。
カヌー 宮良川 マングローブ

彼の家へ戻って休んでから車で市街地へ行く。彼から市街地を案内してもらう。竹富町役場があるが、八重山諸島の行政中心地は石垣島なので役場を置いてあるとのこと。港に離島ターミナルがある。彼が初めて石垣島へ来た時はターミナルビルはなく、広場にテントがありそこで船の乗船券など売っていて素朴で良かったとのこと。ステーキハウスは閉まっていたので別の店で「八重山そば定食」で夕食とする。
島唄ライブの店「芭蕉布」へ行く。彼はアルコールを飲まないのでジュース、小生は泡盛のストレートと水にした。だんだんお客さんも入って来る。この店のマスターは舞台で三線を弾き民謡を唄う。奥さんは三線や太鼓を叩きながら唄う。男性が笛を吹いている。何曲かの後に踊り手の女性2人が出てきて踊りだす。お客さんも一緒に前へ出て皆で踊る(カチャーシー)時があり泡盛の酔いもあり前で踊る。友人のNは席にいてジュースを飲んでいる。お客さんで指笛のうまい人がいて教えてもらう。この男性の名前は「ひとし」さん。ライブの最後に彼は舞台へ上がり三線を弾いて唄っていた。どうもセミプロの人のようだ。泡盛(30度)のストレートがきいた。
民謡酒場「芭蕉布」 踊り カチャーシ

彼の家へ帰りバタンキュー。網戸からの風が心地よくすぐに眠れた。


19日目:7月11日(月) 晴 走行距離/累計3km/855.2km
N宅 ⇒ Max Value ⇒ 宮良海岸 ⇒ 白保サンゴ館 ⇒がやや ⇒ 宿
宿泊: 民宿「サントール」
朝食後に彼の家の近くのビーチでシュノーケリングをすることになった。車でスーパーの「Max Value」へ行きシュノーケリングの3点セット(水中メガネ、足ひれ、シュノーケル)とビーチ用シューズを購入。 宮良海岸へ行きシュノーケリング。潮が引いていて300m位沖まで浅瀬になっていて、深いところでも背の高さ位だ。カラフルな小魚が泳いでいる。彼の家へ戻る途中、近所の人が皮を剥いたパイナップルを彼に持たせた。家で美味しくいただく。近所の人はパイナップル農園をやっていて市場へ出せないものを彼にくれることがあるそうだ。自転車で「しらほサンゴ村」へ行く。館内にある展示品(漁師が使っていた舟など)を見学の後、白保海岸へ出てみる。
白保さんご村 白保さんご村 白保海岸

食堂「がや屋」
白保郵便局でお金をおろし、食堂「がやや」へ向かう時に小雨になり食堂へ着いた途端に豪雨となった。間一髪セーフでやれやれ。
「麻婆豆腐丼定食」にする。ミニ沖縄そばとアイスコーヒー付き。彼は石垣で家を物色中にこの食堂でよく食事をしたそうだ。その後も時々この食堂を利用している。若い店主の奥さんは埼玉出身とのこと。

彼の家へ戻ってザック類を整理し2人で民宿の「サントール」へ行く。Nは宿のお客さんと話している。お客さんは我々と同じ年齢で明日東京へ帰るとのこと。この宿のリピーターで5〜6回来ているそうだ。Nは今日東京から帰ってくる奥さんを空港へ出迎えに行くので家へ帰った。和歌山から来ている40代男性が西表島などは宿を早めに予約した方がよいと助言してくれた。西表島はNやこの男性が「まるま荘」がいいと言うので予約すると明日の12日はOKだが、13日と14日は無理だった。13日と14日は「いるもて荘YH」に予約した。15日の竹富島は「泉屋」に、16日17日の波照間島は「たましろ」、19日20日の与那国島は「はいどなん」に予約した。

若い男性が2人宿にいて1年以上この宿をベースにして外でアルバイトしている。この石垣で暮らしていればなかなか本土へ戻れないと思う。


20日目:7月12日(火) 晴 走行距離/累計9.2km(宿⇒石垣港)/864.4km
宿 ⇒ 石垣港離島ターミナル - 高速船 ⇒ 上原港(西表島)
宿泊: 民宿「まるま荘」(西表島)
サントール出発
サントールを出発する時に宿泊している同じ年齢の東京の男性と和歌山の40代の男性それにトールさんが見送りしてくれた。

市街地にある八重山郵便局でお金をおろして離島ターミナルへ行く。

さてこれから西表島の旅が始まる。



西表島


沖縄の旅


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