7月15日〜7月17日


1日目:7月15日(金) 晴 走行距離/累計60km/60km
釧路 ⇒ 白糠(しらぬか)⇒ 音別 ⇒ 厚内
宿泊:とほ宿「待ちぼうけ」(浦幌町厚内)
釧路・ヤマト運輸
昨晩は前回(2003年7月)釧路で旅を終えた時に泊まった"とほ宿「休坂」"で一泊。
奥さんとのその後の世間話は楽しかった。釧路駅まで歩き駅内で食料を調達。

「くしろバス」でヤマト運輸釧路西宅急便センターへ向かう。バス停「星ケ浦大通4丁目」で下車、営業所へ行く。
自宅に近い営業所から自転車を輪行袋に入れてこの営業所へ前もって送っておいた。営業所の空き地で組み立てる。しかし、チェーンが八の字にねじれて元の状態に戻せない。営業所の人に頼むと手伝ってくれた。
その人は事務所へ戻り軍手をはめドライバーセットを持ってきた。 結局、リアのディレーラー(変速機)のスプロケットを1枚外し作業をし易くした。彼は途中携帯が鳴ったにもかかわらず手伝ってくれた。名札を見ると「須田」とあった。須田さん大変有難うございました!お陰様で出発することが出来ました。

荷物の多くはすでに今晩泊まる「待ちぼうけ」へ送ってあるので宿まではフロントバッグ1個と背中のディバッグのみ。国道38号線を白糠へ向け爽快に走る。2年前の稚内空港から走り始めたのを思い出す。あの時も爽快な気持ちだった。

大楽毛(おたのしけ)の交差点を通過、北海道は珍しい地名が多いがアイヌの言葉からきているのだろう。根室本線の庶路(しょろ)駅近くの郵便局で北海道の花の切手を20枚購入。白糠を通過し、直別(ちょくべつ)あたりの上り坂を終えたところで小休止。沼津から来ているバイクの三人組みとしばし話す。「この広い北海道を自転車で走っている人は尊敬するなー」とペットボトルの差し入れを受ける。

快晴の下、順調に走り、直別隋道へ入る前に小休止。隋道の反対側から自転車の人が出てきたので声をかける。稚内からスタートし、又、稚内へ戻るとのこと。稚内 - 小樽 - 函館 - 室蘭 - 苫小牧 - 広尾と走ってこの隧道で私と出会ったのだ。60代の真っ黒に日焼けした男性だった。隧道へ入る前にサドルの下に赤色の点滅灯を付けておいた。前回、トンネルで後続の車(特に大型トラック)の通過時に怖い思いをしたので今回は赤色の点滅灯を準備した。

直別隋道から厚内隋道へ入る手前から厚内へ向かう。線路沿いの道を進むと根室本線の厚内駅へ走る電車がやってきた。1両のみで乗客はゼロ。

とほ宿「待ちぼうけ」
厚内駅

今晩の宿の「待ちぼうけ」に到着。3匹の犬が激しくほえるとマスターが出てきて「はまなす」の部屋へ案内される。今晩は私1人だけとのこと。

夕食まで時間があるので漁港と駅へ歩いて行く。駅は無人駅。釧路行きは1日あたり7本しかない。宿のマスターに聞いたら駅舎をスナックにしていた人がいたが採算が取れずやめてしまったとのこと。

夕食はマスターも一緒、夕食後に彼手作りの果実酒3種類を飲みながら政治談議、人生談義で夜が更けた。彼は40代、東京の田端で育ち若い頃北海道を旅行して北海道に惚れ、他の宿で修行後自分の宿を持った。彼の両親と親戚は戦争中に佐渡へ疎開していたとのこと。しかし、彼は両親の疎開先の佐渡の地名までは知らなかった。彼によれば北海道の「民宿」や「とほ宿」の主人は北海道以外の人が多いそうだ。確かに今まで泊まった宿の人は北海道以外の人が多かった。霧多布の「エトピリカ村」や釧路の「休坂」の主人もそうだった。


2日目:7月16日(土) 晴 走行距離/累計90km/150km
厚内 ⇒ 昆布刈石(展望台)⇒ 霧止峠 ⇒ 共栄 ⇒ 十勝川河口橋 ⇒ 広尾
宿泊:旅館「たかはし」(広尾町)
手作りのベーコンのある朝食を終え、自転車に荷物を積み込み出発。彼は玄関で宿の旗を大きく振りながらいつまでも見送ってくれた。

昆布刈石までは上りの砂利道できつかった。あいにく海は霧で見えなかったが霧がなければさぞかし雄大な太平洋が眼下に見えるのだろう。 砂利道を進むと舗装した真っ直ぐな広い道に出た。対向車も後続車もなく貸切状態。

十勝川河口橋を渡ると進行方向のゆるやかな坂道を荷物を満載したマウンテンバイクを押している人がいる。私も自転車を降りて声をかけた。東京の足立区のKさん、真っ黒に日焼けしたこの人は強く印象に残る面白い人だった。
63才、金型の部品工場を経営していたが中国製の安い部品及びお兄さんの死をきっかけに工場を閉鎖。本年3月中旬に家を出発し安比スキー場(岩手県)で春スキーをした後、函館に5月中旬着。それまでの自転車旅行の疲れを癒す為函館に1週間滞在。それから小樽 - オロロン街道(留萌から稚内までの日本海側の長大な街道)- 稚内と走り、稚内で東京から来た奥さんと再会。その後、宗谷岬 - 網走 - 知床 - 根室 - 釧路(私が前回走ったルートと同じ)を経てこれから苫小牧を経由し室蘭へ向かうとのこと。
奥さんから「1日6千円でやるよう」言われたので安い宿に泊まっているそうだが、オロロン街道で知り合った自転車旅行中の青年から安い宿、100円、を紹介され泊まったが狭い部屋に7〜8人のザコ寝、おまけに隣の人のイビキがうるさく眠れなかったそうだ。自転車の前と後ろに大きな荷物。今まで3回パンク。自転車のフレームに住所と名前が大きく書いてあり「日本1周」とも書いてあった。「お互い頑張りましょう!」とエールを交換し先へ進んだ。
昆布刈石 十勝川河口橋 Kさん

広尾町へ入る。モダンな建物の消防署を過ぎ広尾高校(学園祭中だった)の前を通過する。旅館「たかはし」へ到着。玄関で呼んでも誰も出てこないのでとりあえず自転車から荷物を下ろし玄関で待つ。しばらくしておばさんがやって来たので部屋へ上がる。

洗濯をするのでおばさんに宿の洗濯機を借りた。全自動と二層式(脱水層が別)があり全自動を勧められた。家の洗濯機が二層式なので慣れているのでこれにした。おばさんの独り言「全自動の方が簡単で使い易いのに・・・」 。

夕食は長期滞在している人と一緒だった。この人はユニークな人で面白かった。なんと電柱の場所を特定し調査する仕事をしている。
電柱の所在は民有地と公有地がはっきりしておらず北海道電力から頼まれて調査しているとのこと。色々な仕事があるものだ。
宿のおかみさんは不在で妹さんとおばさんが頼まれて宿で仕事している。
聞けばおかみさんの息子が広尾高校のキャッチャーでサブキャプテン。その息子が今日から始まった北北海道大会の地区代表になり旭川スタルヒン球場での本大会に出場中。明日、遠軽高校戦、全部で4回勝てば甲子園出場。
明日は全校生徒と父兄がバスをしたてて応援に行くそうだ。妹さんの娘さんは広高のブラスバンド部員でありすでに旭川へ行っている。こういう話はいいですねー。普段は缶ビールなのに今回はビール大ビン1本でスタート、電柱屋さん?、妹さんそれにおばさんと高校野球の話で盛り上がり広高応援の為にさらに大ビン1本追加!!。
電柱屋さんは大きなボトルの焼酎を飲んでいる。
なんかフーテンの寅さんの映画に出てくる情景である。遅くなり部屋へ戻りバタンキュー。


3日目:7月17日(日) 晴 走行距離/累計50km/200km
広尾 ⇒ 黄金道路(タニイソトンネル - 宇音別トンネル - 咲梅トンネル)⇒ 百人浜 ⇒ 襟裳岬
宿泊:民宿「仙庭」(えりも町)
早朝、自転車で漁港へ行く。釣りの人にどんな魚が釣れるのか聞いたら、「カレイ、ウグイ、ガンジー」とのこと。ガンジー?聞き間違えたのかと思い再度聞くとやはり「ガンジー」 海ヘビのような魚とか。日曜日の朝8時、町の中はガランとしている。皆さん広高の応援に行ったのかな?コンビニへ行き飲み物を買うがオニギリの棚はカラッポ!売り切れだそうで応援に行く人たちがすべて買ってしまったのだろう。
広尾漁港

黄金道路

宿を出発し広尾橋のたもとに「黄金道路」のカンバンがある。しばらく走ると前日十勝川河口橋を過ぎたあたりで会ったあのKさんが前方を走っている。
朝6時頃、大樹の宿を出発しえりも岬の宿へ行くそうだ。今晩の宿は民宿「仙庭」(私はすでに予約済み)にしたいが電話がつながらなく困っているようなので私も機会があれば宿へ電話しKさんの予約をすることにし先に走り出す。

昆布漁の真っ最中で磯に小舟がたくさん見える。舟から昆布を揚げるところを見学。宿へ電話入れるとつながり宿の人にKさんの件を話しKさんの携帯へ連絡を頼んだ。電話を終えたら丁度Kさんがやって来たので宿の件を話す。私はそのまま昆布漁を見学するので残ったが、Kさんは先に走り出した。しばらくして走り出したら浜のあちこちで昆布を干している風景。十勝昆布の本場だ!

昆布揚げ 昆布干し

海岸沿いに覇道が多い。完全なトンネルでなく海側は開けていて歩道のあるのもあればないのもある。Kさんが休憩している傍を「お先に」と通り過ぎる。後で宿で一緒になり聞いたら、Kさんが休憩したところに釣り人がいて、その人は釣れないので焼酎を飲んでいてKさんも一杯勧められたので一緒に飲んで話していたとのこと。前は金型工場の経営をしていた社長さんだが、今はまったくひょうひょうとして面白い人だ。

宇遠別トンネル(3,220m)
黄金道路は文字通りその道路工事があまりの難事業で黄金を敷き詰めるがごとく、湯水のように金と時間を使ったことに由来する。私にとって今日の距離は大したことでないが問題はいくつものトンネル、特に長いタニイソトンネル(2,020m)と宇遠別トンネル(3,220m)が第2回北海道自転車の旅の最大の関門である。
インターネットで調べ管理している浦河建設局にメールで質問を出した。
質問1)歩道はありますか?
回答1)一般の人が利用する歩道はありません。但し、道路を管理するための監査歩廊(かんさほろう)が左右に75センチの幅(実際はもう少し狭いですが)で設けられておりその監査歩廊を利用できます。
質問2)歩道は車道より高いですか?フェンスはありますか?
回答2)車道より25センチ程高くなっていますがフェンスはありません。

サドルの下の赤色点滅灯をつけてタニイソトンネルを走る。
歩道は狭いが照明があり車も少ないので車道を走ったが、恐怖は感じなかった。長いトンネルだったがこの先にもっと長い宇遠別トンネルが待っている。いくつかの覇道を通り、いよいよ宇遠別トンネルへ入る。やはり歩道は狭いが明るいので車道を進む。
とにかく長い!遠くから対向して来る車の音が「グワオーン」と響く。心配していたダンプカーが上りも下りも走ってなく良かった。日曜日なので走っていなかったのかな。2つの出口までの距離が書いてあるプレートが適当な間隔で壁にある。「1,610m / 1,610m」のプレート、どちらの出口へも同じ距離、ちょうど真ん中。
対向線側からタオルでマスクをした自転車旅行中の人に出会う。お互いトンネルの中なので話しも出来ず手を挙げて通り過ぎる。

釣り人
無事にトンネルを抜けたので小休止。 近くで釣りをしている人がいる。
札幌ナンバーのワゴン車。今、大物の魚を釣り上げたところだった。約40cmはある「アイナメ」(北海道では「アブラコ」と言う)だが釣り上げるまで30分かかったそうだ。
魚を持ったところを記念に写真を撮って欲しいと頼まれその人のカメラで撮ってあげた。札幌ナンバーだが余市町に住んでいて「田舎の札幌」と笑っていた。
海上自衛隊の横須賀基地にいたが余市のミサイル艇に移動になりそこで退官したとのこと。
本人は千葉県の君津出身だが奥さんが北海道生まれなのでそのまま余市にいるそうだ。退官後。銀行のサービス係として勤めたが「ありがとうございます」と頭を下げることや職場の人間関係に疲れ体を壊した為に銀行をやめたと言っていた。
海上自衛隊では「貴様、何やっとるのか」と男ばかりの環境だったので銀行は無理だったと苦笑いしながら話してくれた。
自転車に乗り走り出そうとしたら車からリンゴとトマトを1個ずつ持ってきて食べてくれと言う。リンゴは青森産だがトマトは北海道産だと笑う。有難く頂戴し手を振りながら別れる。

黄金道路・記念碑
百人浜
いくつかの覇道の後、黄金道路の記念碑がありそこで昼食を取る。もらったトマトとリンゴも一緒に食べる。

336号線をそのまま進むとえりも市街と浦河方面なので、34号線(襟裳公園線)へ入る。子供も含め家族・親戚総動員の感じで浜で昆布干しをしている。ここは日高昆布の本場。

右側に日高山脈、左側に太平洋を見ながら平らで真っ直ぐな道をひたすらペダルをこぐ。
百人浜で小休止。日本の渚百選の一つとのことで看板が立っていた。
看板の文「襟裳岬周辺海域は、古来より航海の難所で海難事故が多く、その昔遭難した南部藩の船から砂浜に流れ着いた百余名の乗組員がが、飢えと寒さで亡くなったという伝説に由来し、文化3年(1806年)に村民達が遭難者の霊を供養するために、一石一字塔を建てたと言われている」。

しばらく走ってから休憩し風景を動画に撮る(風の音が大きいので注意)。


動画:日高山地・道道34号・太平洋

動画:悲恋沼

襟裳岬の入り口に民宿仙庭が見えた。えりも岬ユースホステルの時代を経て今は民宿。
荷物を下ろし自転車で岬へ行く。
土産物屋さんが3軒ありそれぞれ食堂もある。階段を下りて岬の下まで行き海水に手をつける。途中、民家の昆布干し場に「豊国丸殉難者追悼碑」の石碑があり裏側の碑文を読みたかったが民家の敷地なので諦めた。
土産物屋さんの食堂で「えりもラーメン」を食べる。広場では森信一の「襟裳岬」と島倉千代子の「襟裳岬」の歌が交互に流れていた。
民宿「仙庭」 襟裳岬 襟裳岬

宿へ戻るとKさんがいた。Kさんの談「疲労困憊していたら、軽トラックが通ったので頼んで荷台に乗せてもらった。しばらくしてから岬方面の道でなく内陸の336号線を進んでいると気がつき元に戻ってもらった」相変わらずいい味の親父さんだ。

食堂へ行くとお酒を飲んでいい機嫌のKさんがいたので隣に座り談笑する。他のお客さんは、札幌から車で来た夫婦と息子それにバイクの5人連れで皆で語らい楽しい晩だった。


7月18日〜7月22日


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