7月5日〜7月12日


1日目:7月5日(土) 晴 走行距離/累計25km/25km
小金井 ⇒ 新宿 ⇒ 浜松町 ⇒ 羽田空港 ⇒ 稚内空港 ⇒ 宗谷岬
宿泊:民宿「清水」
大きな荷物(テント、寝袋など)は前もって民宿に送っておいた。それでも輪行袋に入れた自転車は、工具類も含め約15kgあり羽田空港までの各駅での乗り換えの時はかついだ肩に袋がくい込む。

稚内空港の荷物受取り場には利尻岳へ登る中高年の人々(特に女性が多い)のザックとストックがやたら多い。やはり中高年の登山ブームはすごい!

空港の玄関脇で自転車を組み立てる。快晴!!早く走りたい気持ちであせる。予定より組み立てが大幅に遅れたが、透き通るような北海道の空の下、ペタルをこぎスタートする。
空港から少し走り国道238号へ出る。海岸沿いのまっすぐな広い国道を猛スピードで車が走っているが、車の数はさほど多くない。強い向かい風のなか「安全第一」を心がけ走る。
宗谷漁港で小休止。港の向こうに利尻岳が見える。

ロシア語併記の道路案内板を見つつ、軽装備(本格的な装備は明日から)なので快適に走る。「間宮林蔵渡樺出港の地碑」を見ながら走る。日本最北端(北緯45度31分14秒)の宗谷岬に到着。「日本最北端の地碑」の前で記念撮影。この地碑は北極星の一稜をモチーフにして高さは北緯にちなんで4m53cm。
今回の旅はここが実質的な出発点となる。
宗谷漁港 宗谷岬

民宿は岬のすぐ前で16:00着。自転車をチェックしたら前の左側キャリヤー(荷物袋をかける)のナットと特殊ワッシャーが取れていた。明日からの本格装備に必要なので、宿に自転車を置いて、来た道を部品を探しに20分位歩いた。しかし、発見出来なかった。再度自転車の各部をチェックすると、ナットやネジの多くがゆるんでいてぞっとした。稚内空港で組み立てる時に各部を十分に締めてこなかったためである。反省。

宿の人曰く「荷物が届いています。こんなにたくさんの荷物を積んで走るのですか」。
宿では他に一人お客さんがいた。帯広からバイク(ハーレダビットソン1200CC)で来た人(56才)で今まで中古(それでも130万円!)だったが、昨年300万円で新車を買ったとのこと。私の新車は安い!?
ハーレダビットソン


2日目:7月6日(日) 晴 走行距離/累計69km/94km
宗谷岬 ⇒ 猿払 ⇒ ベニヤ原生花園 ⇒ クッチャロ湖(浜頓別)
宿泊:クッチャロ湖キャンプ場
装備:前に3バッグ(フロントバッグ、サイドバッグ X 2)、後ろに2サイドバッグ、さらに荷台にテント。
合計重量 = バック類約25kg + 自転車約15kg + 本人60kg = 約100kg !!

宿を出てしばらく行くと、結構急な長い坂道(200m位)があり、荷物満載の自転車は重く、ジグザグに上ったが途中あきらめて降りようかと思ったほどきつかった。何とか上りきったところで早速水分とカロリーの補給。

知来別シネシンコ
インディギルカ号慰霊碑
猿払へのまっすぐな国道のバス停で小休止。バス停の名前が「知来別シネシンコ」と珍しく、又、時刻表もなかった。

北海道で一番広い村の猿払にある道の駅「さるふつ公園」に11:30着。
海岸側に石碑が2つ建っていた。1つは漁業協同組合のもので「いさりの碑」であった。大昔、このあたりは鰊、鮭、鱒さらに帆立貝の宝庫だったがその後の乱獲でほぼ絶滅してしまった。碑の中に感銘した文があったのでメモを取った。「人間は神々と力を競うべきでない。人間は自然の摂理に従うべきだ」

もう1つは、「インディギルカ号遭難者慰霊碑」であり、昭和14年12月にソ連の大型漁船(漁夫とその家族の1,064名)がカムチャッカの漁場からウラジオストックに向けて帰る途中、暴風雪のためこの沖合い1500mのトド岩に座礁転覆し、700余名の犠牲者が出た海難事故を悼む碑(ロシア語も併記)であった。私の実家は、父の代まで漁業をやっていたし、又、私自身、若いときの一時期に船乗りだった関係もあって、どうしても海関係の事柄に今でも興味を持ってしまう。

浜頓別の町へ入る。途中、ベニヤ原生花園に寄ってみる。岐阜県から来た30代の自転車族と挨拶を交わす。
クッチャロ湖キャンプ場着16:00。テント設営の後、コッフェルにお湯を沸かし「ご飯」と「カレー」を温め夕食。テントの中でウィスキーをちびりちびりやり、ガイドブック等見ながら明日泊まる場所を考える。
ベニヤ原生園 クッチャロ湖キャンプ場


3日目:7月7日(月) 快晴 走行距離/累計85km/179km
クッチャロ湖 ⇒ 枝幸(えさし)⇒ 雄武(おうむ)
宿泊:雄武民宿ホテル
湖畔を散歩中に「八王子」ナンバーの車を2台見つけたので、出発準備中の人たちに話しかける。青梅から来ている60代の夫婦2組で利尻岳を登ってきて、これからサロマ湖や美瑛方面へ行き10日間の旅行とのこと。どうしても「多摩」や「八王子」ナンバーの車を見ると話しかけてしまう。
クッチャロ湖

斜内(しゃない)と言う地名があり、「社内」「社内会議」を連想してしまう。悲しきはサラリーマンの性也。

快調に時速22-23kmで走る。トンネルがある。
このトンネルは「北オホーツクトンネル」と言い、私はこれを「悪魔のトンネル」と名前をつけた。やや上りで側道が狭く照明も暗く、大型トラック、ダンプカーや大型バスが「グオーン」とトンネル内に反響する轟音をあげて通過して行く。とにかく「早く傍を通り過ぎてくれ」「早く出口が来るように」と祈りながら走った。トンネルを出たすぐ先に「美雪橋」と言う何ともロマンチックな名前の橋があった。
北オホーツクトンネル

浜頓別町と枝幸町の境に岬が現れた。積丹半島の有名な岬と同じ神威岬だが北見がついて北見神威岬。この岬で小休止。若いカップルから写真を頼まれた。東京から来ていて自転車で旅行中と答えたら驚いていた。オニイチャン曰く「旭川は30度にもなるが、オホーツクは寒いので風邪引かないで下さい」。そう言えば昨日、猿払の道の駅でジャンパーを着たオジイチャンも私のTシャツと短パン姿を見て同じ様なセリフを言っていた。
北見神威岬

正午頃に枝幸町に到着。この町の名前は「えさし」。渡島半島にある江差(えさし)は「江差追分」もあり知っていたが、オホーツク海沿岸のこの町は知らなかった。町の中で偶然、自転車屋を見つけたので宗谷岬へ行く途中に落としたナットを買う。
町内の食堂でカツ丼とラーメンを注文。学生時代はよくこの種の組み合わせで食べたが、50才半ばの中年男が果たして食べれるものなのか。とにかく、走っている間はエネルギーを多量に消費するので炭水化物、ビタミン類と水分を取らないと「ガス欠」状態になりまったく走れなくなる。これからさらに50km先の雄武町(おうむ)まで行かなければならない。
さすがにカツ丼のご飯は2-3口分残した。冷やし中華を食べていた隣の中年の人があきれかえったようにこちらを見ていた。

宿泊地の雄武まであと15km位から疲れてきた。いくら走っても距離計の数字が進まないように感じられる。

雄武町へ入って小学生の女の子三人から「頑張ってくださーい」と声をかけられる。「ありがとーう」と手を挙げて答えた。その後、小学校(幌内小?)の校庭で遊んでいる男の子たちからも「頑張れー」と声援があり、さらに「応援しているぞー」との声。ちょっと待てよ、何かロードレーサーの人の練習と勘違いしているのではないかな。確か宗谷岬の民宿の人が「もうすぐサイクリングの競技があります」と言っていたな。しかし、私のチャリンコ姿は、どう見ても競技者ではなく、普通の登山帽、Tシャツ、短パンそれにランニングシューズ。

中心街への入り口に「民宿」があった。予約していないが大広間に泊めてくれることになり助かった。お風呂は泡風呂で、極楽、極楽。お風呂で中年(52才)の人と話す。東京の目黒にある会社に勤務していたが、今年の5月から単身赴任中。3年間こちらにいるとのこと。

目黒の人はアルコ−ルは駄目で、食事が終わったら先に自分の部屋へ帰った。私も食事を終え部屋へ戻って1時間位したら外で声がする。出てみるとその人が缶ビール1本持っていて「これ飲んで下さい」。

結局、15畳位の大広間に私一人だった。


4日目:7月8日(火) 快晴 走行距離/累計98km/277km
雄武民宿ホテル ⇒ 興部(おこっぺ) ⇒ 紋別 ⇒ 三里浜キャンプ場(サロマ湖)
宿泊:三里浜キャンプ場
民宿の玄関に「歓迎 オホーツクサイクリング」の貼り紙があり、宿の人に聞くと「雄武-常呂(ところ)-斜里の212kmを2日かけて走るレース」とのこと。
雄武・民宿

道の駅「おうむ」へ寄るが、何の面白みもなくさっさと引き揚げる。「日の出岬」へ寄ろうとしたが、きつい坂道をやっと終えて快適な下りを走っているうちに通り過ぎてしまった。

「おこっぺソフトクリーム」の店でバイクの若いカップルと話し合う。山梨県から来ていて1日平均300km走るとのこと。昨日は500km走ったので疲れたそうだ。そんなに早く走って風景を楽しめるのだろうか? その後、国道から離れて道の駅「おこっぺ」へ行く。ここは国鉄時代の写真や当時の物品があり面白かった。又、客車を改造した簡易宿泊施設も裏にあった。
国道へ戻る時に洋品店を見つけたので長袖シャツを2枚買う。高いシャツを買おうとしたら、この店の人(女性)は安い方を勧めてくれた。貧乏旅行者に見えたのだろうか?

道の駅「オホーツク紋別」で年配のチャリンコ族に会う。福岡の人で63才。博多からフェリーに乗り、6月20日に室蘭着。室蘭、襟裳岬を廻って紋別に着いたとのこと。室蘭、襟裳岬の道中では寒くて雨も降り最悪の天気で旅行を中止しようと思ったそうだ。又、前のタイヤが破裂し使えなくなり自転車屋を探すのに1日かかったとのこと。マウンテンバイク、流線型のヘルメット、サングラス、ライダーパンツにサングラスであり、年令よりもずっと若く見えた。

紋別の街中へ食堂を探しに行こうとしていたらカニ弁当の店があり迷わず入る。漁協の直営店でテーブルでカニ・ウニ丼を堪能した。魚のすり身の入った味噌汁を特別に出してくれた。以前、京都の学生さんがバイクで旅行中、紋別が気に入って卒業後はこの町の水産会社に就職した話をしてくれた。色々な人生があるものだ。
弁当屋 カニ・ウニ弁当

サロマ湖のほとりから三里浜キャンプ場まで約9kmあり、どうしても最後の10km前後になるとペタルをこぐのが嫌になる位疲れてしまう。
オホーツク海との間の砂州の長い道を9km走った。
キャンプ場着17:40。キャンプ場の管理人さんに申し込み、湖畔のテント場へ行く。有料シャワーの使い方を教わり売店で缶ビールを買う。管理人さんは、都会では見られない純朴な顔立ちと人柄で「バンガローに先に自転車で着た若い人がいるのでそこへ一緒に泊まったら」と言ってくれる。しかし、テントのつもりで来ているので丁重に断った。

キャンプ場のトイレに行くと、貼り紙に「キツネが出ますので、食料を取られないようにして下さい」とある。夜、寝ているテントにキツネが来たらどうするのだろうか?

シャワーを浴びた後、再び管理人さんが来て「他のバンガローへ泊まりな」と言ってくれる。折角の好意なので有難くお受けする。

管理人さんも帰り、湖畔のテーブルに缶ビールとつまみを持って行く。
ビールを飲みながら夕日の写真を撮り女房に電話で実況中継をする。
サロマ湖・夕日

先にバンガローに着いた若い人も夕日を見に缶ビールを持って出てきたので、「こんにちわ」と声をかけるも返事なし。私は人と話すのが好きな方だが、人によっては孤独が好きで他人と話したくない人もいるのでそれ以上話しかけなかった。管理人さんの「一緒に泊まったら」との申し出を結果として断って良かった。もしそうしていたらお互いに気まずい思いをするだけだった。

夕食はバンガローで「イカ飯」を温めて食べた。


5日目:7月9日(水) 快晴 走行距離/累計62km/339km
三里浜キャンプ場 ⇒ 道の駅「愛ランド湧別」 ⇒ 道の駅「サロマ湖」 ⇒ ワッカ原生花園 ⇒ 常呂(ところ)
宿泊:民宿「浜」
朝3時半に起床。オホーツク海からの朝日を見る。同じ場所で昨晩は夕日を見て、今朝は朝日を見れたので感動!!
出発の準備中に後ろのバックとテントを留める紐を片方だけきつく引っ張って締めた為、バッグ上部の縫い目部分の1/3位破れてしまった。左右均等に締めるべきなのに・・・反省。
日の出/オホーック海 三里浜キャンプ場/サロマ湖

動画:日の出

「多摩」ナンバーの車が地元の人に道を聞いている。町田から来ているとのことで、おじいちゃん、娘、孫娘の三人だった。
常呂・網走に向かうサロマ湖畔の道はアップダウンがきつく何回も小休止する。
道の駅「愛ランド湧別」で観覧車に乗り、サロマ湖を一望する。

道の駅「サロマ湖」で生ビールとホタテ焼きを楽しむ。自転車はビールを飲めるのがいいね。道交法では禁止なのだろうが。
ここでテント、寝袋、キャンプ用品などを宅急便で家へ送った。バックの縫い目が心配なことと、坂道を上る時の荷物の重さがきついことも理由であった。店にある秤に載せると約6.5kgあった。

国道を離れ、ワッカ原生花園へ行く。向かい風が強く、そんなに走っていないのに結構バテ気味。

網走のYH(ユースホステル)で泊まろうと計画していたが、予定を変更し常呂で泊まることにした。民宿の何軒かに電話するも廃業したり相手が出なかった。旅館は満員で断られた。バスターミナルへ行き相談すると、民宿「浜」を教えてくれた。近いので直接行ってお願いすると、泊めてくれることになった。

予約の年配の男性が一人いて、夕食時に飲みながら話した。水戸から旅行に来ているとのこと。
私が勤務していた前の会社(スウェーデン系の会社)の話をすると、その会社を知っているとのこと。何とその人の高校時代の同級生の I さんが会社に勤務していたとのこと。勿論、私は I さんを知っており定年退職した I さん の話で盛り上がった。まったく人の出会いは面白いものだ。この広い北海道で予定を変更して予約もなしに泊まった民宿で会社の先輩の同級生に会うなんて!!


6日目:7月10日(木) 曇のち雨 走行距離/累計70km/409km
民宿「浜」 ⇒ 常呂・網走自転車専用道 ⇒ 網走 ⇒ 小清水原生花園 ⇒ 斜里
宿泊:とほ宿「ファームイン夢木香」
民宿を出発し常呂郵便局前のポストへ昨晩宿で書いた絵はがきを投函。
国道238号へ出て網走へ向けペタルをこぐ。オホーツクサイクリングロードがあるのだが、インターネットのページで体験者の評判が「単調で良くない」とあったのでサイクリングロードを左に見ながら国道を走る。途中、後ろから来た小型トラックのオニイチャンが「サイクリングロードがあるよ」と声をかけてくれた。車の走る国道よりサイクリングロードがいいかと気持ちを変えてサクリング道路へ入る。
民宿/常呂 網走サイクリング道路/常呂

能取湖の湖岸を貸切状態で走る。網走湖が右に見えてきてそのまま進み網走駅へ到着。昼食は駅近くの「めん坊」にて「豚骨ラーメン」。網走港を左に見ながら強い向かい風のなか国道244号を進む。「小清水原生花園」で散策。大型観光バスで来た多くの観光客が花園を散策している。この頃から小雨となりウィンドブレーカーを着る。
網走駅 小清水原生花園 小清水原生花園

道の駅「はなやか(葉菜野花)小清水」へ寄りスタンプラリー帳にスタンプを押す。ここで雨が強くなってきたのでバッグの中にあるはずのゴアテックスの雨具を探すが見つからない。仕方なく濡れたウィンドブレーカーのまま前の3つのバッグにカバーをかけ宿泊地の斜里まで走る。

雨の中1時間位走り宿の「ファームイン夢木香」に17:30着。別棟の中に自転車を入れ、紐に濡れたものをぶら下げる。バッグの中身を整理すると、何とゴアテックスの雨具が出てきた。探し物は落ち着いて探さなければ・・・反省。


7日目:7月11日(金) 晴 走行距離/累計46km/455km
とほ宿「ファームイン夢木香」 ⇒ 峰浜 ⇒ オシンコシンの滝 ⇒ 宇登呂
宿泊:とほ宿「ボンズホーム」
この宿はご主人と友人が3年をかけ北米材で建てたログハウス。小生が勤務する会社の親会社はスウェーデンにあるが、この宿はそのスウェーデンに置いてもマッチする。屋内もしゃれた雰囲気でリラックスできる。
斜里・夢木香 斜里・夢木香

「今日は斜里おろしが強いから気をつけて」とご主人の忠告。確かに斜里岳(1,545m)からの風は台風並みで右横からあおられ自転車がフラつく。危険を感じて何度か下車し押して歩く。ホームセンターがあり、長ズボンと裾止テープを買う。短パンは3本持って来たが、長ズボンは1本しか持ってきていなかったので必要だった。

強風の中、峰浜のドライブインに着き「海鮮ラーメン」を食べる。
斜里 斜里方面を望む 峰浜・塩ラーメン

オシンコシンの滝で小休止。大型観光バスで沢山の観光客が見物に来ていた。
すぐ先にトンネルがあったが、北オホーツクトンネルと違い、車道より一段高くてフェンスもあり、さらに明るかったので安全に通過出来た。

宇登呂・ソラ
宇登呂の「ボンズホーム」に15:00着。玄関を開けたら大きいシベリアンハスキーがいて驚いて道路まで走って逃げたが、宿の人が「おとなしい犬ですよ」と言ってくれたので一安心。確かに吼えもせずおとなしかった。(名前:ソラ)

近くの町営温泉「夕陽台の湯」へ行く。
温泉に埼玉県の春日部から来た年配の人がいた。奥さんと一緒にワゴン車で廻っているそうで、主に山登りをしているとのこと。北海道を車で旅行している年配の夫婦にずいぶん会う。

夕食はガイドブックに載っていた寿司屋の「たつみ」へ行った。冷酒を飲みながら店主と話す。「海鮮丼」を頼んだら豪華な盛り付けで味も良く最高!
新婚さんが2組いて、1組は奈良県からもう1組は埼玉県から来ていた。私が自転車旅行中と知り、2組とも彼女が彼氏に「あなたも自転車をやれば」と勧めているのが可笑しかった。
宇登呂・寿司屋


8日目:7月12日(土) 曇のち雨 走行距離/累計59km/514km
とほ宿「ボンズホーム」 ⇒ 知床峠 ⇒ 羅臼ヒ゛シ゛ターセンター ⇒ 羅臼 ⇒ 標津
宿泊:とほ宿「モシリバ」
朝食前に自転車(バッグは宿)で知床五湖方面へ向かう。重いバッグがなく快適に走る。エゾ鹿の親子連れが道を横切っていた。知床五湖への長い下りの途中で朝食の時間を考えてUターンし引き返すが、羅臼岳などの知床連山がはっきりと見えて最高だった。「ヒグマ 」の看板を見て、思わず自転車のベルを激しく鳴らした。
知床・看板

宿で朝食後に出発する。坂道を進むとはるか下に宇登呂の街が見える。知床峠の上りは今までで一番苦しかった。道幅をいっぱいに使いジグザグで上ったが、力尽きて2-3回降り押して歩く。熊除けの為、自転車のベルを定期的にならしながら上った。
上りの途中にキタキツネが道を横切って行った。又、雪渓があり自転車を止めて、沢へ降りていったら水芭蕉の群生があった。
約2時間かけて知床峠(738m)に到着。大勢の人が車で来ていた。あいにく羅臼方面はガスって見えない。
宇登呂の街を望む 水芭蕉 知床峠

下りはカーブが多く電池式のライトを点けてスピードを抑えながら慎重に走った。

羅臼ヒ゛シ゛ターセンターを見つけたので立ち寄る。知床や羅臼の自然に関する色々な展示があり面白かった。
道の駅「知床・羅臼」で休憩。コーヒーを飲みながら「2002年北の国から」のパンフを見る。パンフには羅臼でロケした時のマップが載っておりテレビ放映された時の様々なシーンを思い出した。
羅臼ビジターセンター 「北の国から」寄せ書き

標津の宿へ向かう途中で雨になった。雨具を着て前のバッグへカバーをかける。
トンネルがあった。何か嫌な予感。歩道は車道より一段高くしてあるが暗く狭い。大型車が傍を通るたびにヒヤヒヤした。トンネルの途中で「北オホーツクトンネル(悪魔のトンネル)」を思い出した途端、恐怖を覚え安全の為に自転車を降りて出口まで押して歩いた。

宿の「モシリバ」へ着いた時はぐっしょり濡れていた。
自転車を入れるスペースがなく軒先の下に輪行袋を被せて置いた。

夕食は私を含め個人旅行の四人が一緒のテーブルでお互い自己紹介しビールを飲み、鮭のチャンチャン焼きを食べながら盛り上がった。他のテーブルは終了しても我々のグループは残って話を続けた。

斜里で買った長ズボンをテープで裾直しする為に宿の人にアイロンとアイロン台を貸してもらった。宿の人曰く「色々な人が泊まったが、アイロンを貸したのは初めてです」
四人のメンバーで裾直しをああでもないこうでもないと大笑いしながら無事終えた。ご主人から流氷(2月に接岸した時のもの)のオンザロックのサービスがあり、皆でさらに盛り上がり話が続いた。流氷は少ししょっぱかった。
我々のメンバーは、バイクが二人(20代後半の東京の女性と30代の名古屋の男性)と大型スクーターが一人(40代の東京の男性)。彼らは「白バイに乗っている警察官の技術レベルは非常に高い」と尊敬していたので、「実は兄貴が警視庁で白バイに乗っていた」と話すと「それはすごい!」と言ってくれ気分が良くなった。


7月13日〜7月20日


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