波照間島
7月16日〜7月17日 1泊2日


24日目:7月16日(土) 快晴 走行距離/累計18.7km/1,017.7km 
石垣港- 高速船 ⇒ 大原港(西表島)⇒ 波照間港
宿泊:民宿たましろ(波照間島)
波照間港
波照間港ターミナル
石垣島離島ターミナルの安永観光のカウンターで乗船券(往復)5,700円と自転車運賃(往復)1,400円を払う。高速船「第38あんえい号」に乗船。波照間島への直行でなく大原港(西表島)へ寄ってから波照間港へ行った。波照間港ターミナルに入ると食堂「海畑イノー」があり、沖縄そばを食べる。

ターミナル内の安永観光で民宿「たましろ」への道順を聞いた後に自転車を走らせる。しかし、宿が見つからないのでターミナルへ戻り再度場所を確認する。やっと宿を見つけた。宿の主人から宿の説明を受けた。入り口に大きな木の長方形のテーブルがあり、宴会の式次第の板がぶら下げてある。夕食まで時間があるので島内をサイクリングする。
民宿たましろ 宴会の式次第

集落の中心地に幼稚園・小学校・中学校がある。「ようこそ波照間幼・小・中学校へ」の大きな看板があり現在の状況が書いてある。
平成23年4月1日現在
幼稚園 園児数12名 職員3名
小学校 児童数28名 職員15名
中学校 生徒数10名 職員11名
波照間小学校 波照間小学校

駐在所
「八重山警察署波照間駐在所」があり壁面の日本地図に波照間の位置が記されている。この島はどこも「日本最南端の・・・」がつく。

幻の酒「泡波」の波照間酒造所がある。この泡盛は生産量が少なくそのほとんどが島内で消費される。那覇で買うとプレミアがついて高額になるとか。この泡盛は今晩の宿で飲み放題と聞いているが・・・。
波照間酒造所

学童慰霊碑
「学童慰霊碑」がある。
碑文:
「太平洋戦末期1945年4月8日西表島字南風見田に強制疎開させられた全児童323名はマラリアの猛毒により全員罹患中66人を死に至らしめた。かつてあった山下軍曹(仮名)の行為はゆるしはしようが忘れはしない。本校創立90周年を記念しはるかに疎開地に刻まれた「忘勿石」を望む場所にその霊を慰めあわせて恒久平和をねがい碑を建立する 1984年7月16日波照間学校創立90周年記念事業期成会」
海の向こうの西表島の南風見田の浜にこの学童慰霊碑と向き合うかたちで「忘勿石」(わするないし)があるそうだ。

「コート盛(火番盛)」を見る。かつての琉球王朝時代の烽火(のろし)台。沖合いの船を琉球王府に通報するため八重山諸島の各地にあり烽火を挙げてリレー式に王府に伝達した。
コート盛

大東亜戦転進記念碑
チャリを走らせていると「大東亜戦転進記念碑」を見つける。碑の表に「我がカヌー怒涛の中に極まりて漂う海に星一つ見ゆ 元海軍少尉 石川茂只書」とある。
裏面の碑文:
「マニラ派遣隊24名は昭和19年11月3日マニラ中にあって、昭和20年2月転戦ジャングルに入り同年4月下旬出る。北上の命により集結した隊員は9名となる。壊れた丸木舟で帆を作り帆掛舟に仕立て、ヤシの実20ケと水を水筒に入れ板切れで索具はボロ布で縄を作り同年5月15日ルソン島を出発北上する。荒波の太平洋では針路も思うにまかせず、・・・・・・・八重山郡島中の波照間島に着いた。生存者は4名となった」

宿の庭にある大テーブルで夕食。
この宿の名物となっているボリュームたっぷりの食事。量がはんぱではない。
・特大大盛りのカレー ・大盛りのソーメン ・刺身 ・オレンジ、パインの輪切り ・バナナ ・ヨーグルト。
例の幻の「泡波」もある。
夕食

オーナーは食事を置いて西宮市(兵庫県)の50代の男性を司会者として指名してからいなくなった。各自の自己紹介などが始まる。小生と和泉市(大阪府)の30代の女性だけが初心者で他の人はリピーター。石垣島で働いている30代の男性がユニークだった。最初は東京の事務所にいたが沖縄の勤務を希望して浦添市(沖縄本島)に転勤。その後、石垣島へ異動となり4年になるそうだ。彼は大盛りの夕食後にカップ麺を食べていた!小生も若い頃は大食いしていたが今は無理。実は、食事の途中でお腹が痛くなりトイレへ行った。結果は下痢。このボリュームは年配者と女性には厳しすぎる。
和泉市の女性はネットでこの宿の名物の食事を知って来たが、食事を取り部屋・施設を犠牲にするか迷ったそうだ。確かに、部屋やトイレ、お風呂などに清潔さを求める人にはお奨めできない。彼女は明日の晩は別の宿とのこと。

台風の針路が心配。


25日目:7月17日(日) 快晴 走行距離/累計33.6km/1,051.3km
宿 ⇒ 島内一周 ⇒ 宿 ⇒ ニシ浜ビーチ ⇒ 波照間島
宿泊:民宿サントール(石垣島)
朝食も量が多く昨晩のこともあり全部食べずに残した。TVで台風の情報を見る。直撃はないが影響で海はうねりがあるとのこと。夕方から明日になると高速船が欠航の恐れがある。この宿でもう1泊の予定だったが石垣島へ戻ることにした。
朝の船で帰る人たちもいて記念写真を撮る。愛知の40代の男性はマウンテンバイクを袋に入れていた。静岡の40代の男性はダイビングと水中写真が趣味で何度も来ているが、この宿でもう1泊するとのこと。昨晩の司会者の男性と大坂の30代の女性はどうやらカップルのようだ。小生は13時15分発の船に決めた。
朝食 全員集合

灯台

宿に荷物を置いて島内一周のサイクリングをする。
灯台があるが海から離れた場所に建っていて不自然。やはり岬や海辺に建っていないと灯台の感じがしない。

案内板に従って進むと「日本最南端の碑」があった。最北端の宗谷岬(北海道)と最東端の納沙布岬(北海道)へは自転車ですでに行ったが、最南端へ来たので残すは最西端の与那国島だけとなった。近くに「日本最南端平和の碑」もあった。
日本最南端の碑 日本最南端の碑

星空観測タワー
タワー屋上からの眺め
遠くに「星空観測タワー」が見えるので自転車を走らせる。タワーの入り口前にヤギが長い紐で繋がれている。
ここは日本で唯一、南十字星を観測できる施設で口径200ミリの屈折天体望遠鏡とプラネタリウムを備えている。天文ファンが多く来ているそうだ。残念ながら望遠鏡とプラネタリウムは時間前なので見れず屋上へ出て周囲の風景を楽しむ。
台風の影響で海岸に大きな白波が立ち上がっている。

波照間空港がある。日本最南端の空港だが今は使われていない。

宿へ戻り荷物を積んでニシ浜ビーチへ行く。昨日もこのビーチへ来たが、遠くに西表島が見えてエメラルドグリーンの海が素晴らしい!! シュノーケリングをする。台風の影響かあいにく少々濁っている。しかし、この海で泳げたので満足。ビーチにあるシャワーを浴びて着替えたら昨晩の宿で一緒だった静岡の男性がいてダイビングや水中写真の話を聞く。
ニシ浜ビーチ ニシ浜ビーチ

予定通り13時15分の高速船に乗船。2泊の予定が1泊になってしまったが波照間島に満足。


石垣島その2


沖縄の旅


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