タイの旅


バンコック -(列車)⇒ カンチャナブリー -(バス)⇒ バンコック -(飛行機) ⇒ ハート・ヤイ(ハジャイ)- (バス)⇒ サトゥン



1日目:4月5日(木) 曇 
自宅 ⇒ 羽田空港 ⇒ クアラルンプール空港
エアアシ゛ア機/羽田空港
品川で京浜急行に乗り換えて羽田空港国際ターミナルへ行く。時間が遅くレストランは殆ど閉まっている。タイ・バーツ(B)とマレーシア・リンギット(RM)をそれぞれ1万円分両替。
格安航空会社(LCC)のエアアシ゛ア(AirAsia)にて23:45に離陸。
真ん中の3人席の通路側に座席指定しておいたが隣りの2席は空席。3席分を利用し横になり眠る。





2日目:4月6日(金) 
クアラルンプール 空港 ⇒ スワンナプーム 国際空港(バンコック)⇒ エアポートリンク空港駅 ⇒ パヤータイ駅 - BTSパヤータイ駅 ⇒ オンヌット駅
宿泊:Imm Fusion (バンコック)
クアラルンプール空港着。歩いてLCCターミナルへ行きバンコック行きの飛行機を待つ。
この空港をベースにしているエアアジアなのでマレーシア各地や近隣国への便が多い。

バンコックのスワンナプーム国際空港着。成田空港の敷地の3倍もあるという大きな空港だ。成田闘争があり複雑な背景も持つ成田空港だが国の航空行政の貧困としか言いようがない。

エアポートリンク空港駅で乗車しパヤータイ駅で下車、電車賃45B(135円)。近くにあるBTS(高架鉄道)パヤータイ駅で乗り換えてホテルのあるオンヌット駅で下車、電車賃40B(120円)。
駅近くのショッピングセンター(TESCO Lotus)へ入りフードコートで食事をしてからホテルへ行く。ネットで予約した安いホテルだが広さもありトイレ・シャワー付きなのでこれで十分。

明日、カンチャナブリにあるクウェー(クアイ)川鉄橋へ行く。行きは列車で国鉄トンブリー駅からクウエー川鉄橋駅で下車とし、帰りはバンコックまでバスとした。事前にトンブリー駅を見ておく為に電車でチャオプラヤ川近くの駅まで行った。チャオプラヤ川の対岸の乗り場へ渡し舟で渡ったが、トンブリー駅への船着場への行き方がわからず諦めた。

国鉄ファラムポ−ン駅へ寄る。朝6時半発の土日限定特別列車があるのでトンブリー駅発でなくこの駅発の乗車券(往復)を120B(360円)で購入。駅構内のトイレの利用料2B(6円) 。

ナイト・マーケット
オンヌット駅へ戻り始発電車を確認したら6時とのこと。
駅の階段下にある広場でナイトマーケットをやっていて立ち寄る。ホテルの受付に明日の6時半発の列車を相談すると「ホテルから6時にタクシーに乗れば間に合う」と言う。部屋へ戻ってからもう一度考えた。トンブリー駅発7時45分の方が時間に余裕があるのでMRTファラムポーン駅まで行きそこからタクシーに乗りトンブリー駅へ行くことにした。買った乗車券は記念に取っておこう。






3日目:4月7日(土)
アソーク駅 - (タクシー)⇒ 国鉄トンブリー駅 ⇒ 国鉄クウェー川鉄橋駅 - (モーターサイ)⇒ カンチャナブリ・バス停留所 - (バス)⇒ バンコック 南バスターミナル - (タクシー)⇒ 国鉄ファラムポン駅 ⇒ BTSオンヌット駅
宿泊:前日に同じ
スクンビット駅で地下鉄に乗り換え終点のMRTファラムホ゜ーン駅へ向かう。トンブリー駅発の列車の時間がせまっているので終点まで行かずに途中の駅で下車。メーター・タクシーをつかまえ国鉄トンブリー駅を地図で示すと運転手は200B(600円)と言う。メーター制なのに何故?と思いながらも急いでいるので承諾。彼は場所がわからず近くの人に地図を出して聞いてから走る。出発時間の7時45分が気にかかる。

国鉄トンブリ駅
列車

チャオプラヤ川にかかる大きな橋を渡り王室御座船博物館の前を通りトンブリー駅へ7時40分に着いた。急いで乗車券100B(300円)を買う。改札口はなく切符売り場とホームがあるだけ。やっと来た列車はなかなか発車しない。タイ風に考えて慌てないことにする。結局、8時5分頃に発車。ボックス席で一緒のお兄ちゃんとおばちゃんは英語が全く通じない。外の風景を楽しむ。
途中の駅から乗ってきた果物売りや惣菜売り、飲み物売りのおばちゃん達が通路を歩いて乗客に売っている。
大きな駅から大勢乗ってきて若い女性二人が小生の隣に座る。二人は高校生だった。一人の子はどうにか英語が話せるので学校のことや家族のことを話す。

カンチャナブリ駅の次のクウェー川(クワイ川)鉄橋駅で下車。改札はなく線路を歩くと観光案内所があり地図をもらう。クウェー川の鉄橋へ行く。第二次世界大戦中、日本軍が連合軍の捕虜(イギリス人やオーストラリア人など)を泰緬鉄道の建設の労働者として働かせた歴史がある。映画「戦場にかける橋」とその主題歌「クワイ川マーチ」でも知られている。陽射しがきついが、帽子とサングラスは宿に忘れてきた。列車が通過する際の退避するスペースが鉄橋の両側に何箇所かある。
クウェー川鉄橋駅 クウェー川鉄橋

慰霊塔
豹とおじさん
近くに慰霊塔がある。
碑文「泰緬旬連接鉄道建設間不幸病オ得テ斃レタル南方各国労務者及俘虜ノ為此ノ碑オ建テ恭シク其ノ霊オ慰ム 昭和19年2月 日本軍鉄道隊」。

食堂で昼食。前に並んでいた家族が注文したものが美味しそうなので同じものを注文。テーブルの傍に中年男性が豹と寝ている。その男性と豹を見ながら不思議な気持ちで食べる。
食事代を払う時、20B紙幣を出すとこの20B紙幣は古くて受け取れないと言う。この紙幣は16年前に家族旅行でタイへ来た時に余ったお金で今回女房からもらったものだ。(この20B紙幣はタイを出国する時にはどこかで使ったらしく無くなっていた)

「War Museum」を見学する。
入口前の広場に蒸気機関車が展示されている。大きな日の丸の旗の上に日本語で「カンガナブリでの第2次世界大戦時のミヤンマー、インドへの日本兵軍用具運搬汽車」と書いてある。
入館料40B(120円)。戦争に関する絵や写真、当時の武器などが展示されている。東条英機大将(首相)が満州時代に家族と一緒に撮った写真もある。枢軸国(日本、ドイツ、イタリア)と連合国(アメリカ、イギリス、フランス)の指導者の像が建物の壁に立っている。多くの連合軍将兵が鉄道建設中に亡くなっているが、若いカップルがいたので話しかけるとイギリス人。戦後67年経て日本のおじさんとイギリス人の若者がここで話しをするとは感慨深いものがある。
戦争博物館入口前広場 戦争博物館 労役風景(人形)

蒸気機関車
駅前の広場に蒸気機関車が置いてある。
石碑があり「軍属・機関士たりし佐々木一三君に協力してときの鉄道建設関係者有志並びに一般協力者これを遺す 1977.2月7日 旧泰緬鉄道C56形機関車保存会」と書いてある。観光案内所に戻りもらった地図を出してここはどの辺かと聞いた。
窓口の女性は地図を見て考えている。結局、後ろに座っている制服の年配女性に聞いている。年配の女性は小さくわかりやすい地図を持ってきて説明してくれた。最初からこの地図をくれれば良かったのに。
制服の女性を見てここは観光案内所でなくツ−ストポリスとわかった。
「バンコックへバスで戻るにはここからどうやってカンチャナブリのバス乗り場まで行けますか」
「近くの広場でバイクがお客さんを待っているからそれに乗ってバス乗り場へ行けばいい」
「バイク?」
「そうバイクの後ろに乗れば連れて行ってくれる。バイク代は40B」
彼女は近くの広場まで一緒に行ってくれてバイクのおじさんに40Bと言い頼んでくれた。

おじさんの腰につかまり発車。追い越しの時は思わず腰にまわした手に力が入る。おじさん、安全運転だよ。ノーヘルメットなので事故で転倒したら危ないな。連合軍共同墓地の前を通り15分位でバス乗り場へ到着。長く感じた15分だった。

バスの出発まで時間があるので歩いてJEATH戦争博物館へ行く。入館料30B(90円)。捕虜収容所を思わせるコの字型の竹の建物があり、当時の写真やスケッチが展示されている。
日本語の説明パンフ
博物館の別称の「JEATH War Museum」は、当事国の日本(Japan)、捕虜将兵の国の英国(England)、米国とオーストラリア(America & Australia)、オランダ(Holland)そして建設地のタイ(Thailand)の頭文字をとったもの。DEATH(死)という言葉があまりにも残酷な言葉なので置き換えられた言葉でもある。この難工事に約3万人の連合軍捕虜兵士、10万人以上のアジア人強制労働者(中国、インドネシア、ビルマ、マレーシア、インド、シンガポール、タイ)が投入され、そのうちの捕虜約1万6千人、アジア人労働者10万人のほとんどすべてが、熱帯のジャングルのさまざまな疫病にかかり、医療品の不足などで死亡した。
JEATH戦争博物館 館内展示

日本人銅像
寺院
博物館の裏庭に銅像がある。日本人の銅像で英文の説明があった。
説明文の要約
「ナガセ・タカシは1918年に岡山県で生まれ大学卒業後に泰緬鉄道建設の日本軍の通訳として派遣された。戦後、亡くなった戦争捕虜の墓を調査するグループの一員で活動した。この活動を通じて彼はかつての日本の行動について悔いて僧侶となり犠牲者に身を捧げることになった。カンチャナプリ地域の貧しい若者へ奨学金を提供する基金を設立し、長年にわたり数多くの学生を援助した」

博物館の敷地を歩いていたら大きな仏教寺院に出た。この寺院からなら博物館へは入館料を払わなくとも見学できるのでは?

エアコン付きバスは15時半に発車、バンコックまで約200km、約2時間、運賃99B(300円)。ひたすらバンコックへ向け進む。途中、車掌さんが小さな容器に入った冷たい水を乗客に渡してくれる。
中型トラックの荷台にハンモックが吊ってあり寝ている人がいる。ケージに囲まれているので家畜用のトラックだろうか。まず日本では見ることができない光景。
ハ゛ンコック行きハ゛ス ハンモック付きトラック

終点の大きなバスターミナルへ到着。ターミナルの中にご飯の店が何軒かある。色々な料理の大きな皿があり適当に何品か注文しご飯の上にのせてもらう。店を出たがまだお腹がすいていたので近くの店に入り麺(米粉)を食べた。
食堂 かけご飯

国鉄ファラムポーン駅行きのバス乗り場を何人かに聞いて「501」のバス乗り場で30〜40分待つが来ない。時間も遅くなったのでタクシーで国鉄ファラムポーン駅まで行くことにした。タクシー乗り場でタクシーに乗る。200B(600円)なら仕方ないと思ったら250B(750円)と言う。ここで50B下げさせ交渉するのも面倒くさいので250BでOKとした。運転手は「チェンマイへ行くのか?」と聞いてくる。日本人を含む旅行者はチェンマイへ行く人が多いのだろう。MRTファラムポーン駅からいつもの路線でオンヌット駅へ戻った。



4日目:4月8日(日)
オンヌット駅 ⇒ アソーク駅 - (タクシー)⇒ 上海Mansion Hotel
宿泊:上海Mansion Hotel
今日はマッツの結婚式があるホテルの「上海Mansion」へ行きそこで泊まる。ホテルで朝食。同じテーブルに後から若い女性二人が来た。長春(中国)の学生で仲間と観光に来たとのこと。二人はドラエモンや日本のアニメが好きな普通の学生だった。尖閣列島の話はしなかったが・・・。
オンヌット駅からBTSに乗りアソーク駅で下車。近くの大きなショッピングモールへ入る。「東京」「パリ」「ロンドン」のフロアがあり、東京フロアへ行く。六本木、恵比寿、渋谷、池袋などの看板を出した衣料品店街がある。相撲や招き猫の像もあり猫の目が面白い。
東京フロア 東京フロア 東京フロア

ショッピングモールを出てMRTのスクンビット駅へ向かうと警備員がチェック中でザックの中を見せろと言う。折角パッキングをして鍵もかけてあるので面倒なのでMRTは止めて「タクシーに乗る」と警備員に言って表通りに出た。幸いに警備員は追いかけてこなかった。タクシーをつかまえホテルへの地図を見せた。インド系の運転手は途中、ガソリンスタンドへ寄る。給油かなと思ったが彼はトイレへ行った。メータータクシーでホテルまで91B(273円)。

中国系のホテルで内装は全て中国風。明日、寝台列車でアロー・スター(マレーシア)へ行くので切符を事前に買ったほうがいい。ホテルから国鉄ファラムポーン駅へ歩いて行く。大勢の人で混雑している。予約窓口で頼むと「すべて売り切れ、ノーシート」と言う。2、3度確認したが同じ返事。前日に買うのでは遅いのか!?考えが甘かった。

ホテルへ戻り検討した。バスか飛行機しか方法がない。15時間もバスに乗っているのは苦痛なので飛行機にしよう。ホテルのロビーに無料のネットサービスがあり会員になっているエアアジアにログインする。バンコックからランカウィ島(マレーシア)へ直接行こうと思ったが便がない。タイのハート・ヤイ(ハジャイ)までの便がありこの便を予約した。結局、日本を出発前に最初に考えたルートとなったが、ハート・ヤイまで列車でなく飛行機となった。

マッツの結婚式
新郎・新婦
彼は50才、新婦は中国系タイ人で上海の英語学校で先生をしているそうだ。
我々の円卓は南さん(ヘガネス・ジャパン)、レオ・ファンさん(ヘガネス台湾)、韓国人(ヘガネス韓国勤務だが彼は小生が退職後に入社なので初対面)、彼女の従妹の家族と司会のブーンさん(タイの代理店)の父親(中国系タイ人)。隣りの円卓は、マッツの両親、妹さんの家族(主人と男の子3人)とオロフ・アンダーソン夫妻。
プロのダンサーによる踊り、マッツの父親のスピーチ。司会のブーンが英語、もう一人の女性がタイ語に訳している。オロフ(マッツと同じくヘガネス中国勤務のスウェーデン人)がスピーチしている。

新郎・新婦の生い立ちがスクリーンに映し出される。日本の披露宴と同じではないか!ビンゴゲームで盛り上がる。マッツの母親は陽気な人で踊っている。父親は笑顔の素敵な紳士。彼に小生が3年前にスウェーデンを自転車旅行した時の地図を見せたら喜んでいた。ご両親とも彼の結婚をすごく喜んでいるので良かった。
妹さんの子供(男3人)のうち末っ子(12才)は気さくで可愛い。夜遅くなっていたがこのホテルで泊まるので最後まで残って楽しんだ。
踊りのショー 甥・マッツ・母親と マッツの父親と



5日目:4月9日(月)
宿 - タクシー ⇒ パヤー・タイ駅 ⇒ スワンナプーム国際空港 - (飛行機)⇒ ハート・ヤイ空港 - バス)⇒ 市街 -(軽トラック・タクシー)⇒ バスターミナル -(バス)⇒ サトウン
宿泊:PINNACLE WANGMAI HOTEL (サトウン)
ホテルで朝食の時にマッツの両親と妹さん家族がいたので、「グッモローン」(日本語:おはよう)と挨拶をしたら笑っていた。

ホテルからタクシーでエアポートリンク・パヤータイ駅へ向かう。タクシーを降りて駅へ行くとエアポートリンク・パチャプラロップ駅だった。一つ空港に近い駅なので問題なし。スワンナプーム国際空港は6日にクアラルンプール空港から来た時に経験済み。出発ゲートで待っている間に係員が航空券やパスポートをチェック。

ハート・ヤイ空港
ハート・ヤイ駅
ハート・ヤイ空港まで約1時間半。列車だと17時間、バスだと14時間。
空港の出口に何人かの警官が警備していて紛争地域を実感する。乗り合いのマイクロバスで市街へ向かう。

国鉄ハート・ヤイ駅前で下車。この町は爆弾テロが何回もあったので早くこの町を脱出しよう。駅構内を見たいので中へ入ると、カナダ人のサイクリストが3人いた。ベトナム、カンボジアを走ってタイへ入りこれからマレーシアへ行くとのこと。サイクリストに会えてよかった。
カナタ゛人サイクリスト

駅前に待機している軽トラックの荷台に屋根のある乗り物でバスターミナルまで行くことにして運賃を交渉、運転手は80B(240円)と言うので40Bを回答し、決局、60B(180円)で妥協。爆弾テロに会わないよう祈りながら街中を通りバスターミナルへ行く。

大きなバスターミナルでバンコックへ行く大型バスが出て行く。サトウンへの路線バスに乗車。乗客は地元の人だけ。大きな道を進むが、途中からバスの中のテレビにカラオケの画面が大音量で続く。2時間位走ってから車掌が荷物置き場に置いてある小生のザックを勝手に前へ持って行く。サトウンの街へ入ってすぐに停車。ここで下りろと運転手と車掌がジェスチャーする。街の中の終点まで行こうと思っていたのになんでここで下ろされるのか? 下りたところのすぐ近くにホテルがある。そうか二人は小生が旅行者なのでホテルへ泊まるのだろうと気をまわしたのか。

ホテルの受付でエアコン・温水シャワー付き1泊を頼むと650B(1950円)とのこと。600Bで交渉するがダメで仕方なく650Bで泊まることにした。部屋は適当な広さでまあまあだった。

ホテルの受付で食堂を紹介してもらい行く。シーフード焼飯60B(180円)とシーフードサラダ55B(165円)を注文。お姉さんにビールを頼むと無いと言う。メニューを見たらビールがあるので再度頼むと笑いながら無いと同じ返事。仕方がないビールは諦めた。焼飯とサラダは美味しく値段も安くて大満足。
食堂のお姉さん 夕食

ホテルへ戻りテレビをつけたらタイ王室の誰かの葬儀のシーンが放映されている。受付で聞くと「葬儀の為に食堂などではアルコール類は自粛している」とのこと。これで先ほどの食堂の対応に合点がいった。

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