市庁舎へ行きツアーガイドの説明を聞きながら見学する。ブルーホール(青の広間)がある。この広間はノーベル賞受賞者とその家族が国王やノーベル財団の人たちとの晩餐会場。2008年に受賞した日本の学者たちもここで食事をした。上の階へ行くとゴールデンホール(黄金の広間)があった。この広間は文字通り壁面が金色でノーベル賞の舞踏会場となる。
北方博物館 |
館内 |
市庁舎から30分位歩いて北方博物館へ行く。広い館内に織物や衣服、家具類、農耕具、陶器などが時代順に展示されている。貧しい農業国だった時代の葬儀の様子のパノラマもある。トナカイの狩猟で暮らしたサーメット族のコーナーには彼らの衣類や民具などがあった。
1750~1780年の食器類 |
サーメット族の防寒靴など |
北方博物館の隣にあるヴァーサ号博物館へ行く。説明のガイドの後について説明を聞く。
ヴァーサ号及び博物館の概要
・1628年8月に王宮近くの埠頭から処女航海に出たが突風に襲われ湾内に沈没した
・当時、スウェーデンの最大の敵国であったポーランドに対抗する為に建造された
・国王が通常を上回る大砲を積載したいと考えた結果、上部があまりにも重過ぎた為に沈没
・乗組員150名中、30〜50名が犠牲となった
・数年に及ぶ引き揚げ準備作業の末、1961年4月に海面に姿を現した
・現存する最古の完全な帆船軍艦を展示する博物館
23年前にストックホルムへ来た時は別の場所に展示されていた。正直な話、最初に見た時の方が感動は強かった。
ヴァーサ号博物館 |
ヴァーサ号 |
ヴァーサ号(奥)と模型(手前) |
チェコの兄妹 |
YHの部屋へ戻ると朝 会った若い女性がいる。彼女はチェコから来ている学生だった。彼女「兄も同じYHにいる。これから兄と散歩するので一緒にどうですか?」。YHのラウンジに兄さんがいて3人で外出する。旧市街のレストランへ入り歓談する。
2人の話
・2人ともチェコの大学で修士課程の勉強中
・兄は法律、妹はバイオ・テクノロジーを専攻
・妹はプラハに住んでいるが、兄の住まいはプラハより離れた場所なのでなかなか会えない
・ソ連から管理されていた社会主義時代は外国へは簡単に行けなかったが今は自由に行けるので幸せ
しっかりした兄とお茶目な妹の感じがする。
ソ連・ロシアと東欧諸国の間に多くの小話がある。小生もいくつか知っているので2人に披露する。
チェコのビールは品質が高くて有名。ロシアがチェコ並みのビールを作ろうとテストをくり返す。テスト品をチェコに送って評価してもらうことになった。数日後、ロシア「うちのビールの味はどうですか?」チェコ「う〜ん、悪くはないんでは」ロシア「どうして?」チェコ「牧場の牛に飲ませたが,まだ生きているから」
2人とも大笑いしていた。YHへ戻るとヘガネスのハンスからケイタイに電話がある。「出来たら15日に家へ来てもらいたい」と言う。最初の計画はストックホルムから北上しウプサラからスウェーデンで一番大きい湖ヴェーネルン湖の西側を走り、イェーテボリ経由で彼の家へ行く予定だった。しかし、この予定では彼の家へ15日に着けない。ルートを変更し二番目に大きいヴェッテルン湖の湖畔にあるムータラからイェーテボリへ行くことに変更した。
22日目:7月5日(日) 曇後晴時々雨 走行距離/累計:101km/1,178km
ストックホルム ⇒ セーデルテリエ ⇒ ビヨンリンテ゛(Bjornlinde)
宿泊:ビヨンリンテ゛YH
出発前にチェコの2人に会った。お別れの挨拶をして陸上のYHの倉庫に入れてある自転車を取り出す。受付で今晩泊まるヒ゛ヨンリンテ゛への大体の道順を聞いて走り出す。ストックホルムのような大都市から出るのは大変だ。
郊外の小さな町でおじいさんに聞くとスウェーデン語で手で合図するのでその方向へ進んだ。
自分では地図通り走っていると思っていたが予想しない海岸沿いの道だった。海から離れたら大きなキャンプ場があり歩いている人に道を聞いた。彼女が「コンニチワ」と言う。聞くと父親が国連の職員で1958年に韓国に駐在中に父親が日本へ旅行に行った時に覚えた日本語を彼女に教えてくれたそうだ。
教えてもらった駐車場に出たら品のよい中年の夫婦が車に乗り込むところだった。急いでこれから先の道を聞くと、奥さんが「Take it easy!」と言いながら笑顔で応対。この言葉はエーフュスのYHの庭で同じく言われたことがある。相当にせっぱつまった顔で聞いたのだろう。
旦那さんが詳細な地図で説明してくれ、さらに必要なページを破って渡してくれた。2人にお礼を言いペダルを漕ぐ。
セーデルテリエの町へ着く。観光案内所へ行くが日曜日で閉まっていた。駅前で客待ちをしていたタクシーの運転手さんに道を聞く。
私「すみませんが゛ビョンリンデへの道を教えて下さい」
彼「・・・・・」
私「すみません教えてもらえませんか」
彼「・・・・」
私「それでは駅へ行って駅員さんに道を聞いてみます」
彼「教えてもらいたいのか、教えてもらいたくないのか」
私「え〜・・・・」 思いがけない彼の言葉に困惑した。とにかく教えてもらったが東欧風の彼はどうしてあの様な態度だったのだろう。
昼食でカバブ・レストランへ入る。安くてボリュームがあり昼食に最高!
セーデルテリエへの標識 |
カバブ |
ひたすら先へ先へと進むと公園があった。中近東風の若者3人がいあたので道を聞く。2人が残りの1人を指差して英語ならこの男が分かると言っているようだ。その1人も英語があまり話せず3人は「ソーリー」と言いながら去って行った。
なんとか町らしき場所に出たのでスーパーへ行き夕食の食材を買う。熊の看板がある小さな町のビヨンリンデに到着。ビヨンは熊の意味。
スーパー「Hemkop」 |
ビヨンリンデYH |
宿泊する建物 |
部屋 |
広い敷地の中に昔の農家そのままの建物が何棟かある。部屋は作業小屋風で階段は狭く廊下も背をかがめる低さ。かんぬきのある入口の戸には大きな南京錠。部屋はそれなりの高さがあり安心。トイレは離れた小屋にあり、汲み取り式で洗面器と水の入った器がある。これで手を洗うということか。
外にある簡易シャワーを浴びる。最初だけお湯で後は水。浴びている途中に大きなナメクジが出てきた。「早くあっちへ行ってくれ〜」と叫ぶ。
台所・食堂のある小屋でチルドピザを電子レンジで加熱する。電子レンジがあるのが何か可笑しい。
庭のテーブルで夫婦が夕食中。同じテーブルでピザを食べる。お互いに自己紹介し話す。ストックホルムとコペンハーゲンでアンティークの店を出している。旦那さん「店へ来る日本の若い女性は恥ずかしがり屋が多い。他の国の観光客から店の物を盗まれる事があるが、日本人はその心配はなく安心」。
YHの近くの細い道へ野イチゴを採りに行くことになった。実地で取り方を教えてもらう。取る前に足を地面にドンと踏みつけろと言う。蛇がいる時があるので蛇を逃がすためとのこと。スウェーデンの蛇は小さいから大丈夫とも言う。後から奥さんも来て一緒に採る。
2人ともこのYHは素朴で昔のままなので好きでいつも来るそうだ。
しかし、小生は1泊だけで十分だ。
23日目:7月6日(月) 曇時々雨 走行距離/累計:82km/1,260km
ビヨンリンデ ⇒ ニーシェーピング ⇒ スタヴジョー(Stavsjo)
宿泊:スタヴジョーYH
朝から雨。出発前に親指の爪が割れ欠けていたのでYHの奥さんに爪切りを貸してもらう。持ってきたのは爪切りでなく普通の鋏。ちゃんと爪切りと言ったのになあ〜。奥さんはニコニコしているだけなので仕方なくこれで爪を切る。雨具を着て最初の目的地のニーシェーピングへ走り出す。一本道でひたすら南へ向かうだけなので道に迷わずに走れた。
観光案内所 |
ダニエル君 |
今晩の宿を相談する為にニーシェーピングの観光案内所へ寄る。
受付に若い男性がいて「日本の方ですか?」と日本語で聞いてくる。彼の名前はダニエル・ショランダー。2年位埼玉に住んで日本語を勉強したとのこと。私はここで日本語を話せる人がいるのに驚いたが、彼もこの町へ日本人が来るとは思わず、しかも自転車で旅行しているので驚いたそうだ。
彼からスタヴジョーのYHを予約してもらった。
彼は外へ出て案内所の前に止まっている市内観光のトロッコバスの助手席に座った。彼はマイクを持ちお客さんへ説明をしている。
街の中を走るが雨宿りと昼食のためにピザ・カバブのレストランへ入る。カバブ、炒めゴハンとコーヒーの昼食。店の前においた自転車を店で働いている人たち(トルコ人)が見ている。私が日本人とわかると一人が「お前はサムライだ」と言う。理由を聞くと、このスウェーデンを一人で自転車旅行をしているので「サムライ」なのだそうだ。空手の真似をしたら声を上げながら店の中へ入っていった。面白い人たちだった。
ピザ・カバブレストラン |
トルコ人 |
雨は止まないが先へ走る。ホームセンターで道を聞き、さらにマックでも確認。湖の傍でYHへ電話し場所を聞くが道路を走る車の音でなかなか聞き取りにくい。
YHへ到着。雨で濡れた自転車をウェスで拭く。
2段ベット1つの部屋に1人なので貸切り。オーナーはいつも笑顔でケンタッキーフライドチキンのサンダースおじさんのようだ。
24日目:7月7日(火) 晴時々雨 走行距離/累計:76km/1,336km
スタヴジョー ⇒ ノルシェーピング ⇒ リンシェーピング(Linkoping)
宿泊:リンシエーピングHotel/YH
YHを出発前にチェーンに潤滑剤を塗ろうとしたがバッグの中に見つからずサンダースおじさんに潤滑剤を借りた。
国道を走っていたら高速道路へ出たので元の道へ戻る。道端で苺を売っているスタンドがあり売り子の女性(きれいな人だった)に道を聞いた。まずAbyの町へ行けとのこと。
Abyを過ぎてノルシェーピングへ走る。先の方におじさんがママチャリで走っている。多分、ノルシェーピングへ行くのだろうと思い距離をあけて後ろからついて行く。おじさんは向かい風の中を結構力強くペダルを漕いでいる。とうとうノルシェーピングの町までおじさんについて来た。
おじさんは横道へ入っていった。CサークルやYサークルの交差点にある行先表示は遠い地名だったり、すぐ近くの地名だったりで判断に困る。交差点でチャリのおばさんに聞いたら、「途中まで同じ方向なのでついて来て」と言う。このおばちゃんはスウェーデン語と英語のチャンポンで話す。走りながら子供達や学生は6月中旬から8月末まで10週間も夏休みなどと世間話をする。途中で突然の大雨。おばちゃんは先へ進むが、お礼を言い体育館で雨宿りをする。
小降りになったので走り出すが、しばらくして雷そして大雨となる。大きな木の下で雨具を着て雨宿り。
ヨータ運河に出た。ヨットが見える。橋を渡ろうとしたらカンカンと遮断機が降りて橋が上昇。橋が十分に上がってから待っていたヨットが通過して行く。再び橋が元の位置に戻ると向こう側で待っている車が並んでいた。
ヨータ運河の橋で停止 |
橋上昇後にヨット通過 |
橋が元に戻る |
リンシェーピングの街中へ入る。観光案内所で地図をもらいYHへの道を聞く。 YHに予約した時にYHは満員で併設のホテルにした。
部屋は広く、キッチン、シャワー、トイレそれに大きな液晶TVもありYHの3泊分位の料金550SEK(約7,150円)(朝食付)だったが今までのチャリ旅行の無事を祝いこれで良かった。
近くのスーパーへ行き夕食の食材を買う。
部屋で夕食時に久し振りにニュースを聞こうと思いTVでCNNをつけた。「LIVE CNN MICHEL JACKSON THE MEMORIAL」のタイトルがありマイケル・ジャクソンの送別セレモニーが映っている。そうか、エーランド島のボリホルムYHでスウェーデン人の2人が寝る前にマイケル・ジャクソンがどうたらこうたらと話していたのは彼の死去だったのか。会場に彼の棺が運ばれてきて、何人もの歌手が歌いスピーチをしている。
ホテルの部屋 |
ホテルの部屋 |
ハム・トマト・ピザ・ビール |