シンガポールの旅


17日目:4月21日(土) 
宿 - (タクシー) ⇒ マラッカ・バスターミナルー - (高速バス) ⇒ ジョホールバール ⇒ シンガポール・Bugis駅 - (地下鉄) ⇒ Little India駅
宿泊:YH Hangout@Mt.Emily
ドイツ人サイクリスト
早朝に大雨。部屋の天井から雨漏りがするのでベットを移動。ロビーにドイツ人の男性がいたので話す。
彼が話してくれたこと
・自転車旅行中の34才
・去年5月にドイツを出発してモンゴル、中国、ベトナム、カンボジア、タイを旅した
・タイは幹線道路の他に色々な道があり問題なく走った
・マレーシアは幹線道路以外に別の道が少なく大変
・後ろのブレーキが特殊で交換用の部品をドイツから送ってもらっている
・ペタルクランクの部品が壊れてタイで交換したが金色のメッキの部品
「3年前にスウェーデン南部を自転車で旅をしたと」言うと、彼もスウェーデンとフィンランドをサイクリングしたとのこと。
やさしい気持を感じられる男性でゆっくりと飲みながら自転車談義をしたいが、今日この宿を出発するので残念。

バスターミナルを午後1時半発の高速バスなので1時頃にはバスターミナルに着いていたい。オーナーに聞くと「今、雨が降っていて路線バスは色々な所に停まる。ターミナルまで1時間位と考えた方がよい」「タクシーに乗ると20RMだがミーシャが1時に来て車で送っていくから待っていろ。彼女に10RM渡してくれ」と言う。ターミナルから宿へ来た時、彼女は料金を取らなかったが・・・。他に2人いて一緒にミーシャの車に乗るそうだ。2人はカップルでロンドン生まれのインド系イギリス人の男性と白人の女性。白人の女性はソファーに横たわり筒(ロウを塗った紙?)を耳に差込んだ。男性が筒の上部にライターで火をつける。初めて見る光景で何をしているか理解出来ない。聞いてみると耳掃除とのこと。ヨーロッパで同じものを買うと高いそうだ。ミーシャを待っている間の暇つぶしに見ているのにいい。それにしても妖しげで不思議な光景だ。
耳掃除道具 耳掃除中の女性

1時に宿に来るはずのミーシャが現れない。女性はもう片側の耳も掃除する準備をしている。
彼らはシンガポール行きの切符を事前に買ってなく余裕そのもの。心配なのでオーナーに聞くと「大丈夫問題ない」。オーナーがミーシャに電話している。もうこれ以上待てないので自分でタクシーをつかまえてターミナルへ行くことにした。オーナーにその旨言うと、「そうだなーそうした方がいい」とのんびり返事をする。先ほどまで「大丈夫」と言っていたのはあんたでしょう。タクシー代を改めて聞くと15RMとのこと。最初は20RMと言っていたでしょう。ミーシャに挨拶したかったが仕方が無い宿を出る。1時5分を過ぎているのでヤバイ。

通りへ出てタクシーを探すが来ない。近くのショッピングモールへ小走りに向かうと、途中、空車のタクシーを見つけて乗り込む。「ターミナルへ行きたい。バスは1時半発だが間に合うか?」と聞くと、「大丈夫、間に合う」との返事。途中、渋滞の箇所もあり心配したが通過する。「給油したいのでGSへ寄る」と言う。「ちょっと待ってよ〜、1分でもおしいのにここで給油するのかよ〜」との小生の気持を察したのか、「1分位だから大丈夫」と笑顔で言う。
バスターミナルへ1時28分頃に到着。タクシー代20RMと言われたら20RM払うつもりだった。なんとか間に合ったのだから20RMで良しとしよう。おじさんは「タクシー代15RM」と言う。おじさん、あんたはいい人だ。謝謝、再見!

コーズウェイ
高速バス
広いターミナルの中でバス乗り場を聞いて走る。もう1時半になっている。バスを見つけた。運転手が外で待っている。ついにバスに乗れた!すぐ発車と思ったら発車しないので降りてバスの写真を撮る。さっきまで冷や汗状態だったのにこの余裕は何だ。

バスの中は冷房がきいているので長袖のシャツを着る。熱帯の森林が拡がる中、真っ直ぐな高速道路を南下する。近くの席のおじさんが携帯で何度も話している。日本のように携帯禁止の張り紙もアナウンスもないから平気なのだろう。

ジョホールバル市内のバス停で降りる人もいる。出国審査場に到着。バスに荷物を置いたままパスポートを持ってバスを降りる。検査場の係員にパスポートを見せて簡単に出国完了。バスは検査場を過ぎたところで待っていて乗車する。バスはマレーシアとシンガポールを結ぶコーズウェイ(土堤)を走る。

シンガポールの入国審査場に着く。
バスから荷物を降ろして審査場へ向かうと、どのブースも長い列。早いと思われそうな列に並ぶが一番進み方が遅い列だった。係りの若い女性は新人なのか几帳面なのか処理が遅い。こういう時に限って審査を受ける人の何人かがトラブル。今度は年寄りと子供のいるマレー系の家族。係りの女性はその都度立ち上がって同じブースにいる男性の係員に書類を持って聞きに行く。列に並んでいる人たちは「またかよ〜」という感じでうんざりしている。ペナン島のGHの受付にいた女性を思い出した。係りの女性はあの受付の女性と顔が似ているし、冷たそうな態度もそっくりだ。2人は姉妹だと勝手に思った。パスポートと入国カード(マラッカの宿で記入済み)を出したら簡単にスタンプを押して通してくれた。審査場の先にX線金属探知機があり全ての荷物を探知機にかけゲートをくぐりビルの外に出た。マラッカから乗ってきたバスが待っていて乗車。

街の中はタイやマレーシアに比べてきれいだ。
終点の場所を調べていなかったが、小さなターミナルへ到着。ターミナルの前にトイレがあり用を足して出たら、「オイオイ待て」との感じでおじさんが大声を上げる。おじさんのテーブルに「使用料20セント」の張り紙があり納得。しかし、財布には千円と101RMしかなくシンガポールのお金は一銭もない。「近くで買い物してお釣りをもらって来るので荷物はここに置いておく」とおじさんに英語で言い飲み物でも買おうとしたが店がない。戻って「両替してくるので場所を教えて」と聞いたら、道路の向こう側にあるホテルを指差す。暑い中を向こうへ行って両替し、又ここに戻るのは大変なので困った。その間もおじさんは使用料を払わない人たちに「オイオイ待て〜」と大声を上げている。結局、おじさんは「まったくしょうがない奴だな〜」との態度で手を振ってあっちへ行けとジェスチャーをする。おじさん、こちらも20セント(約13円)をケチっているのではないのだよ。

両替商で千円と101RMの全てをシンガポールドル(SGD)に両替し55.6SGD(約3,700円)を入手。2泊3日のシンガポールで現金がこれしかないのは不安だが、宿代は既に日本から振り込んである。食事などはクレジットカードで払い、万一の時はATMで現金をおろそう。

地下鉄でYHのあるLittle India駅まで行くことにする。歩いている若い男性に最寄の駅を教えてもらいBugis駅へ行った。地下鉄に乗りOutram Park駅で乗り換えてLittle India駅に到着。出口方向がAからEまで5箇所あり、改札口にいる中国系の若い駅員にYHの名前と住所を書いたメモを見せて場所を聞くと彼は「困ったな〜」と言う。「困ったな〜」はこちらのセリフです。駅員は「ここで待っていて」と言いメモを持って近くにある大きな駅周辺地図を見て探している。戻って来たがまだ分からないらしく他の駅員に聞いている。いかにもベテランの感じがするインド系の駅員は的確に一言「出口A」と回答。若い駅員は新入社員か他の駅から転勤してきたのか知らないが、自分の勤務する駅周辺は覚えておきなさい。はっきり言って勉強不足です。

ユースホステル


部屋

YHは小高い丘の上にあり、しゃれた感じの建物。受付のスタッフは笑みを浮かべ親切で心地よい。セキュリティもしっかりとしていて安心。2段ベット方式でなく、隣りと仕切りのあるベットが6つあった。ザックや小物を置けるスペースと鍵のかかるボックスがある。幸いに壁側のベットだった。

夕食は外で取ることにした。いくつかレストランを見て雰囲気のよさそうな店へ入る。コロナビール10SGD(670円)を飲みサテー6串7SGD(470円)を食べながらタイからシンガポールまでの旅を思い出す。
夕食はセットコース23SGD(1,500円)にした。ガーリックパン、コーンスープ、白身魚、コーヒー、アイスクリーム。シンガポールの飲食はタイやマレーシアから比べて高いが、この食事は美味しく満足した。たまには屋台でなく、レストランでの食事もいいものだ。
レストラン 夕食 デザート

部屋へ戻ると4人がいた。ドイツ人(40代)とイギリス人(20代)、台湾人(20代)、香港人(20代)。勿論、小生が最年長。
・ドイツ人はグループ会議がシンガポールであって来た。
・イギリスの若者は東南アジアを旅行中。イギリスの町のニューカッスルの名前を知っていたので地名を言うと彼は驚いて「僕はニューカッスル出身。どうして人口2千人位の小さな町を知っているのだ?」と言う。実は、勤務していたヘガネス社が鉄粉のモーター部品開発でこの町の大学と提携していたので知っていたのだ。
・台湾の若者は台湾の大学院生でアメリカへ留学経験があり妹もアメリカへ留学中。
・香港人は「シンガポールは香港と同じ感じで違和感が全くない」と言う。両方の街はかつてイギリスの植民地だった歴史がある。
イギリスの若者は自分の英語をそのまま話すが、イギリス人以外の我々にとっては外国語なので「What shall I say?」「How to say in English?」など繋ぎの言葉を会話中に入れてしまう。
イギリス人とアメリカ人は海外旅行中に自分の国の言葉を話すだけでよくて得だ。しかし、外国語を学ぶことはその国の歴史や文化を知ることにもなるので世界が拡がる。
現実的には英語の場合、イギリスやアメリカについて学ぶより他の国の人々との会話に使う道具としての役割の方が大きい。


18日目:4月22日(日) 
宿 - Little India駅 - (地下鉄) ⇒ Tampines駅 - (バス)⇒ チャンギ・ビレッジ - (連絡船) ⇒ ウビン島・島内サイクリング - (連絡船) ⇒ チャンギ・ビレッジ - (バス) ⇒ Tampines駅 - (地下鉄) ⇒ Hobour Front駅 - (地下鉄) ⇒ Little India駅
宿泊:前日に同じ
GHで朝食時に同室の台湾の青年と一諸。彼は日本に好意を持っていて日本の技術や文化などを色々聞いてくる。

シンガポールへは1990年に結婚15周年記念で来たことがある。従って、今回は定番のオーチャード・ロードやセントーサ島でなくマイナー(?)なウビン島でサイクリングすることにした。


チャンギ船着場
出航
最寄のLittle India駅から地下鉄に乗りTampines駅へ行き、駅前から路線バスで終点のチャンギ・ビレッジに到着。歩いて2〜3分のところにウビン島へ行く連絡ボートの船着場があった。時刻表はなく乗客が12名そろうと出発の案内があり乗船。船内で運賃2.5SGB(170円)を払う。ボートからチャンギ国際空港へ離発着する飛行機が見える。約10分でウビン島の船着場へ到着。
ウビン島船着場 ウビン島

1台目の自転車
2台目の自転車
船着場近くに何軒も貸し自転車屋がある。最初の店でマウンテンバイクを借りる。3ランクあり、6SGD(400円)、8SGD、12SGD。予算の関係で一番安い6SGDにした。店からもらった島内地図を見ながら走る。日曜日なのでサイクリングしている人が多い。30分位走ったらペダルとクランクがギィギィと音を出す。
ペダルを安定して漕げず疲れる。諦めて貸し自転車屋へ戻ることにした。おばさん(華人)に理由を言って別の自転車に替えてもらった。
小生「今度はあなたを信じるよ」
彼女「どうして簡単に信じるの?」
小生「あなたは真っ直ぐ目を見て話すから」
彼女「確かに自信のない人や嘘をつく人は目がキョロキョロしている」「ユダヤ人はどうして小さい帽子を頭の上にのせているか知っている?」「彼らはこの帽子を通じて天と直接 交信している。だから彼らはお寺にも行かない」
ユダヤ教にも寺院(シナゴーグ)はあるのだが面白いおばさんだ。

海岸線沿いの平坦な道を想像したがアップダウンのある山道が多い。サイクリング中の3人のインド人から写真を頼まれたので撮ってあげた。彼らは12SGDの自転車を借りたそうで新車だった。「日本人よりインド人の方が金持ちだ」と言うと大笑いしていた。

湖がある。説明によると採石場だった跡に水が溜まり湖になったとのこと。

奥の道を行くと道が分かれている。一方の道を進むと木が倒れていて道を塞いでいた。自転車を降り木を避けてから走ると、行く先にのっそり動くものがいる。ワニ? 大型のトカゲのようだ。攻撃されたら大変なのでとにかく立ち止まってトカゲが去るのを待つ。林の中へ入ったのを確認してから進むと看板がある。「STATE LAND No Trespasing BY ORDER SLA SIGNATURE LAND AUTHORITY」とある。そうか、この区域は国の管理地で立ち入り禁止なのか。トカゲに攻撃されても言い訳できない。急いで元の道へ戻る。
大トカケ゛のいた道 看板

ノルディン・キャンプ場の浜辺で休む。浜辺に可愛らしいトビハゼがいた。大きなゲートのある場所へ出た。「NATIONAL POLICE CADET CORPS CAMP RESILIENCE」とある。どうやら警察学校の訓練地のようだ。

ママン・キャンプ場へ出て小休止の後、チェク・ジャワ・ビジターセンターへ行く。イギリス人の別荘だった建物を利用し環境保護の拠点としている。色々な活動を示すパネルの展示がある。センターから長い桟橋が海に出ている。
ビジターセンター 長い桟橋

貸し自転車屋へ戻り自転車を返す。何キロ走ったのか? 11時から午後4時頃まで走ったので疲れた。

夕食はこの島の中華料理店と決めていた。貸し自転車屋の近くの中華料理店「CHEONG LIAN YUEN」へ入る。タイガービールの大瓶6SGD(400円)で一人乾杯する。メニューに海鮮炒飯があり小、中、大のサイズがある。店のお兄ちゃんは「一人なら小サイズで十分」と言うので小サイズ4SGD(270円)を頼む。確かに小サイズでもボリュームがあり味も良く満足。
飯店 海鮮炒飯

道の向こう側の海に面して大きなテントがあり、お客さんが食事している。
雷が大きな音をたてている。真っ黒な雲に覆われて強い風が吹き出してくる。間もなく強い雨が降ってきた。スコールだ。大粒の雨が屋根や道路にパラパラと打ちつける。対岸が見えない。お兄ちゃんが道路近くのテーブルを店の奥へ移動する。外のテントで食事中の人たちもこの店の中へ移ってくる。
30分位でスコールは止んだが南洋のすさまじいスコールを体験した。店のお兄ちゃんは「井上陽水」に似ている。汁麺も食べたいがメニューにない。陽水似のお兄ちゃんに「汁麺を食べたいのだが・・・」と言うと、「いいよ、特別に作ってあげる」との返事。海鮮汁麺にして持ってきてくれた。美味しかった。特別なので高いかなと思ったら海鮮炒飯と同じ4SGDだった。お兄ちゃん、ありがとう〜。
スコール 海鮮汁麺

ボートに乗りチャンギ船着場まで戻り路線バスに乗車。Tampines駅前の終点で下車。

Tampine駅から地下鉄で港・埠頭のあるHarbour Front駅まで行く。
駅と直結しているショッピングモール(ビボシティ)へ入ると「SINGAPORE maritime week 2012 22 April 2012」の展示があった。シンガポール港の歴史と現在のパネルや船の模型が展示されている。シンガポール港は昨年2900万個のコンテナー(単位 20TEU:20フィート換算)を扱い、コンテナーを扱う港として世界のトップグループ。船舶の模型が2つある。

「MV Nihon」
説明文「シンガポールに最初に入港したコンテナー船。ロッテルダム港から300個のコンテナーを積んで1972年6月24日に入港。Nihon はスウェーデンのScan Dutch Company(スカン・ダッチ)が運航し最初のフルコンテナー船であった」
40年経った今の大型コンテナー船は10,000個積位のはずだ。

「MT Emissary」

説明文「5,613重量トンのバンカー・タンカー。長さ:91.85m 幅:17.30m 船深:9.60m Class:Nippon Kaiji Kyoukai」
バンカー(オイル)は船の燃料油こと。シンガポール港へ寄港する船に小型タンカーで燃料油を供給する。Class は船級協会のことで船舶と設備が基準に合っているかを検査し保証する会社。Nippon Kaiji Kyoukai は日本海事協会(NKK)のこと。
Nihon Emissary

海沿いにテラス席のあるレストランやバーが多い。フェリーやクルーズシップに乗船するビル(ハーバータワー)へ行く。ランカウィ島やペナン島、マラッカを巡航するスター・クルーズ・シップもここがベースだ。ビルのレストラン街には「旭川ラーメン 青葉」など日本食の店が何軒かある。「ほっけ定食 ほっけは千葉から輸入」「Aso Ramen 7.9SGD」の看板。外へ出るとセントーサ島へのゴンドラの灯りが上空に見える。

バンコックから始まった旅も今晩で終わり明日 日本へ帰る。色々あったな〜。


19日目:4月23日(月) 
宿 - (地下鉄) ⇒ Changi Airport駅 - チャンギ国際空港 - (飛行機)⇒ クアラルンプール国際空港 - (飛行機) ⇒ 羽田国際空港
クアラルンプールで買ったディバックのファスナーを閉めていたら壊れてしまった。やはり、ファスナーは日本製が一番。フロントで透明のビニールテープをもらいバックをテープで留めた。地下鉄でチャンギ空港駅へ行く。空港の免税店で孫たちへの土産を買う。残りのSGDを全て使い足りない分はカードで払った。クアラルンプール空港に12時40分着。羽田空港への出発は14時45分なので2時間ほど時間がある。免税店でチョコレートなどをカードで買う。

羽田空港行きの飛行機に乗り込む。
2人席の通路側。離陸前に隣りの日本の青年は無人の3人席へ移動したので窓側へ移る。マレー半島から南シナ海へ注ぐ川を見ながら上空を飛ぶ。事前に申し込んでおいたランチが配られた。ペットボトルの水と一緒にライスとチキン。ランチの内容は値段も安い15RM(420円)のでこんなものだろう。LCCのエアアジアは基本料金(運賃)以外の預け荷物代や座席指定代、食事代など全て別途料金がかかる。眠ろうとするがなかなか眠れない。機内誌を見ながら時間を過ごす。
エアアジア機 マレー半島から南シナ海 機内食

羽田空港着23時。
3カ所の税関のうち真ん中に並ぶ。何人か前にギターケースを持った欧米の若者がいる。税関の係員は女性。シンガポールでの入国審査で待たされた時の嫌な予感がする。案の定、若者は係員から徹底的に調べられている。左右の列はすでに税関を終え誰も残っていない。電車も心配なので左の税関へ走って移動する。係員は丁寧な応対ながら不審者と思ったのか「ディバックを開けて」と言う。ファスナーが壊れてビニールテープで押さえてあるディバックなので少々頭に来て、「孫に買った土産が入っているだけ」と強い口調で言った。係員「我々も役目なのですみませんねぇ」。結局、テーブルの上にバックの中身を全てばら撒いた。無罪放免されて出口に走り出したら、後ろから「もしもし〜」と声がかかる。え〜まだ検査するんですか〜。
係員「パスポートを忘れてますよ」。
羽田空港の税関での苦い思い出で旅は終わった。



旅を終えて



東南アジアの旅



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