新宮市内散策


5月18日(土) 晴 
サンシャインホテル ⇒ 神倉山⇒ 神倉小学校 ⇒ 熊野速玉大社 ⇒ 大逆事件顕彰碑 ⇒ 新宮駅
新宮駅 - 特急くろしお18号 ⇒ 天王寺駅(大阪)- 大和路快速 ⇒ 奈良駅 - 普通 ⇒ 平城山駅(奈良)
宿泊:西峯宅(奈良)
新宮駅へ行き本日10時31分発の「特急くろしお18号」の乗車券(新宮 ⇒ 平城山)と指定席券(新宮 ⇒ 天王寺)を買う。ホテルへ戻りロビーでパン、ジュース、コーヒーの朝食。特急の出発まで時間があるのでホテルで自転車を借りた。宿泊客は無料。自転車の名前は「神倉号」!! 
市内マップにある「神倉神社」を目指して自転車を進める。市内マップを見て気がついた。昨夜、行ったラーメン屋はフロントで聞いた店でなく別の店だった。フロントでマップに印をつけてくれたのは和歌山ラーメン「速水」で他の場所にあった。残念也。
「蔵」でなく「倉」の字だが「かみくら」「Kamikura」なので気合が入る。「神倉神社」の看板があり、電柱に「神倉一丁目」の住所表示。「神倉小学校」がある。「かみくら」づくしで心が躍る!!神倉神社へ入る。
神倉号神倉小学校神倉神社説明板

社務所は閉まっていて御札や小冊子は熊野速玉大社で販売しているとの貼紙。この神社の次に大社へ行くのでそこで購入しよう。源頼朝が寄進したと言われる538段の急な石段を上り社殿へ行く。近所の人なのか社殿と注連縄がかかっているご神体のゴトビキ岩(方言でヒキガエルのこと)に参拝し石段を下りて行く人が何人かいる。毎朝の参拝であればかなりの運動量だ。熊野造の社殿からは熊野川の河口と新宮の街並みがよく見える。この神社に来ている人たちに「実は名前が神蔵と言うんです」と声をかけたらどういう反応をするだろうか。
社殿への急な石段神倉神社・社殿ゴトビキ岩

梛の巨木
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)へ行く。巫女さんたちが社殿内を宮司さんたちが外を掃除している。孫4人(高校生1人と小学生3人)に学業成就のお守りを買った。日本代表サッカーチームの守り神は八咫烏。来月はブラジルでワールドカップもあり、サッカーが好きな小学3年生の孫に八咫烏のマークの入ったお守りを買う。さらに「神倉神社の御札」と小冊子「神倉神社とお燈祭 / 速玉文庫第三巻 」を購入。樹齢八百年というご神木の 梛(なぎ)の巨木 がある。境内に「佐藤春夫記念館」があるが時間がないので見学はやめた。佐藤春夫は新宮の出身。
神門社殿八咫烏神社


大逆事件顕彰碑
大逆事件顕彰碑を見る。
碑文
1911年、この熊野の地で、「天皇暗殺を企てた」とする「大逆事件」のために、死刑2名 無期懲役4名、都合6名の人々が犠牲になった。
・大石誠之助(1867-1911)・成石平四郎(1882-1911)
・高木顕明(1864-1914)・峯尾節堂(1885-1919)
・成石勘三郎(1880-1930)・崎久保誓一(1885-1955)
太平洋戦争後、この事件は自由思想弾圧のための国家的陰謀である真相が判明し、かれらはその犠牲者であった。これらの人々は、必ずしも同じ思想を有していたわけではないが、熊野独特の進取の精神や反骨の気風のなかで、平和・博愛・自由・人権の問題においては、むしろ時代の先覚者であった。こうしたかれらの志は、いま、熊野に生きるわれわれにも受け継がれるべきもの、受け継がなければいけないものと確信する。

駅の近くに「熊野文化を彩る人達」の大きな案内板がある。
・東くめ(1877-1969):東京音楽学校在学中より作詞を手がけ「鳩ぽっぽ」などの唱歌を生み出した。
・西村伊作(1884-1963):東京に「文化学院」を設立
・佐藤春夫(1892-1964):作家、「田園の憂鬱」は出世作
・村井正誠(1905-1999):画家、文化学院に在学中に二科展に入選
・畑中武夫(1914-1963):電波天文学のパイオニア、天体物理学の世界的権威
・中上健次(1946-1992):作家、「岬」で第74回芥川賞を受賞

駅前にある「鳩ぽっぽの歌碑」を見る。東くめさんが書いた歌詞と歌碑を建てた時の85才の年齢が書いてある。「熊野文化を彩る人達」の案内板にも東(あずま)さんが載っていたが、「お正月」や「鯉のぼり」、「雪やこんこん」なども作詞していることを初めて知った。
鳩ぽっぽの歌碑 新宮駅


奈良へ移動

ホテルへ戻りザックを背負って新宮駅まで歩く。
始発なので自由席に空席が多く指定席にすることはなかったな。ホームにJリーグ1部の全チームの旗が天井から下がっている。指定席の車両はやはり小生一人のみ。
Jリーグチームの旗 特急くろしお号18号

大地駅ホーム
和歌山県は初めてで海沿いの風景を楽しむ。

太地駅に着く。太地町(たいじちょう)は昔から鯨やイルカ漁が盛んだが、欧米の動物愛護団体から激しい抗議を受けている。イルカの追い込み漁のシーンの隠し撮りで映画「ザ・コープ」が世界に放映された。古くからの伝統漁法であり食文化の違いもあるので一方的に欧米から非難されるのは辛いものがある。かつて日本列島の周辺で数多くの捕鯨船(主に米国)が鯨を獲り鯨油を絞っていた。米国は、捕鯨船へ木材や水、食料などの供給を日本に求め開国を迫った歴史がある。小生は鯨やイルカを食べなくとも平気だが、千葉県の安房地方でも江戸時代から小型捕鯨をしている。日本近海の小型捕鯨は国際捕鯨委員会の規制もないので続けてもらいたい。

串本駅から白浜駅へ。白浜は温泉地なのでお土産を持って大勢乗車してくる。やっと小生の乗車している車両も混んできた。5〜6人中年の男性たちが4〜5席前に座る。大きな声で話している。笑い声も大きい。特に年配の女性が何人か集まると話し声がうるさいことがあるが、年配の男性だって同じだ。「人の振り見て我が振り直せ」の諺もある。小生も周りの状況を見て話すようにしよう。

平城山駅
和歌山駅を過ぎて天王寺駅に到着。西峯に電話して電車を確認し奈良行きの大和路快速に乗車。王寺駅や郡山駅から奈良駅へ。奈良駅で普通電車に乗り換えて一つ先の平城山駅到着。
「平城山」と書いて「ならやま」とはなかなか読めないが、和歌と謡曲にあったような気がする。改札口の外に彼が待っていた。数年前に彼が上京してきた時に我が家へ来てくれたことがあった。
彼の車で家まで案内してもらう。ガデリウスにいた時に彼は結婚して荻窪に住んでいた。その時に奥さん(東京出身)に会ったことがあるが、あれから40年近く経っている。

遠い昔になるが、神戸から転勤して来た韋駄天(当時はこの呼称はなかった)も交え3人して渋谷界隈で夜遅くまでよく飲んでいた。
小生の娘が生まれて間もない土曜日の朝 彼と韋駄天が小生の自宅(小金井市)へ突然やって来て「これから富士山へ登るから一緒に行こう!」と思いがけないことを言った。無茶な話と思いながら結局、富士山へ彼らと一緒に登った。彼も富士登山は覚えていたが、お互いに若さゆえの行動だった。

彼は高校の同窓会が昨日あり写真を見せてくれた。我々の同窓会と同じく皆さんりっぱな初期高齢者である。彼の持っているガデリウス時代の写真を見ながら話が盛り上がる。テニス部の合宿の写真に彼や小生の女房など10人位が写っている。なんと山岳大師も写っているではないか!? 山岳大師がテニスをやっていたとは信じられない。会社のTさん(男性)が好きだった社内の女性の名前を彼も小生もどうしても思い出せない。家へ電話して女房から彼女の名前を聞いて彼に伝えた。奥さんの料理をいただき日本酒を飲みながら話が尽きない。
気がついたら翌日の午前2時半頃だったので就寝。




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