小笠原


竹芝桟橋(東京港)⇒ 二見港(父島)⇒ 沖港(母島)⇒ 二見港 ⇒ 竹芝桟橋

2010年5月7日〜16日 9泊(船中2泊含)10日

日程
竹芝桟橋(港区)を「おがさわら丸」で25時間半かけて二見港へ到着する。船は二見港に2日停泊し3日目に竹芝桟橋へ向けて出港する。従って、行きは船中1泊し父島/母島で3泊、帰りも船中1泊の5泊6日が最低の日程。しかし、せっかく小笠原まで行くのでもっと長い日程を探していたところ、日本ユースホステル協会のホームページを見たら期間限定で9泊10日(船中2泊)のマリンパックがあった。父島と母島に泊り大きい父島に4泊し母島に3泊とした。
平日の朝の通勤時、自転車を持ち電車に乗り浜松町まで行くのは大変なので現地の母島でレンタサイクルを利用することにした。

父島での計画
・トレッキング
・咸臨丸乗組員の墓参 ・シーカヤック(南島含む)・シュノーケリング
・戦跡巡り

母島での計画
・サイクリング
・南崎トレッキング
・戦跡巡り ・乳房山登山(時間があれば)

戦跡に拘る理由
叔父(母の弟)が太平洋戦争中にニューギニアに出征し、1945年(昭和20年)3月に戦病死した。ニューギニアでは連合軍(米軍と豪軍)との戦闘ばかりでなく、多くの日本兵がマラリアやアメーバ性赤痢、デング熱、腸チフスなどの熱帯性感染や栄養失調で亡くなった。又、餓死の兵士も非常に多かった。叔父のいた熱帯のニューギニアより日本に近いとは亜熱帯の小笠原も戦争の舞台だった。父島と母島に当時の日本軍が築いた多くの防空壕や大砲などの戦争の跡が残っている。

叔父の残した日章旗
長野県の男性がオーストラリアのアデレード市にホームステイし小学校で日本語を教えていた。勤務先の校長宅にホームステイしていたが、2002年12月の帰国時に校長から「軍人だったおじさんが日本兵から託されたので持ち主の家族に渡してもらいたい」と日章旗を手渡された。旗には「祈 武運長久 平田乙吉君」と大きく書かれ、親戚や友人などの名前や言葉が書き込んであった。頼まれた日本人は帰国後、関係方面に打診したところ2005年に叔父の旗と判明し、2005年(平成17年)5月26日の信濃毎日新聞の記事に載り6月24日に佐渡の遺族の元に戻ってきた。実に60年ぶりの里帰りだった。
信濃毎日新聞と新潟日報の記事(クリックするとPDFが出る)
信濃毎日新聞・新潟日報


父島


母島


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