旅を終えて

十津川村大水害と新十津川町(北海道)
平成23年(2011)9月 台風12号の豪雨が十津川村を襲い大きな土砂災害が発生した。村は交通網が断たれ救援が遅れて孤立。今回、熊野古道を歩いていた時にも遠くに見える山の斜面が大きく崩れている箇所があった。

この村は過去にも大水害があり多くの村民が北海道へ移住した歴史がある。
「懐旧録 十津川移民」森 秀太郎(もり ひでたろう)/新宿書房から抜粋
明治22年(1889)8月の未曾有の大水害も、小辺路を大きくゆるがした。復旧を断念した約640所帯 2600余人が、同年10月に北海道へ開拓のために旅立つ。彼らは「十津川村郷土北海道移住」の旗のもとに、幼さない者や荷物を背に、鉄砲や刀なども担いで列をなしてゆき、村が見おさめになる伯母子峠では最後の別れを惜しんだ。さらに大股(野迫川村)、高野山、橋本、大阪をへて神戸港から船で小樽港へと渡り、さらに石狩川の奥地へと20日間にわたる大移住を行った。

3年前の豪雨でこの村の歴史を詳しく知りこの時に詠んだ歌。
・明治の世水害逃れ村民は北の大地に町興しをり
・十津川の村を母村と言ひている北の大地の新十津川町
・水害の十津川村へ職員を派遣するかや新十津川町

トレーニング
昨年9月に佐渡を歩いて一周した。その時に自宅を出発する前の2週間位 5kgの鉄アレイをディバッグに入れて毎日1時間ほど歩いてトレーニングをした。今回も昨年と同じようにトレーニングをした。熊野古道・小辺路は距離約70kmだが1000m級の3つの峠を越える難路なので事前のトレーニングをした。毎月 登山をしているリーダーの山岳大師や学生時代から山男の韋駄天(冬山登山もする)と違い年に1回の山登りの小生には事前の準備が必要だ。

宴会
神々諸仏の皆さんは般若湯(お酒)が大好きで今回も宿坊(高野山)での前夜祭から始まり宿へ着いたら毎晩宴会だった。休肝日を提案したが却下された。ビール1本位はいいかなという程度の軟弱な提案だったのだが。結局、6日目の西峯宅での宴会も含め6晩連続で飲んだ!! 学生時代や会社員時代にもよく飲んだが6晩連続はなかった。さすがに肝臓が疲れてしまい帰宅してから回復するのに3日〜4日かかった。神々諸仏の皆さん、次回からビール1本だけの晩も入れましょう。(陰の声:お前が一番飲んで騒いでいるぞ〜)

菩薩 (角菩薩):角 (すみ)さん
秋田駒ケ岳
宴会と言えば菩薩を思い出す。何度も彼と登山をした。昨年8月の八幡平・秋田駒ケ岳でも一緒だった。下山後、玉川温泉と乳頭温泉・鶴の湯では大宴会をした。残念なことに彼は昨年11月に急死。我々も神戸でのお通夜に参列した。般若湯をこよなく愛した菩薩であった。菩薩は、羽黒山の宿坊でNHKのラジオ深夜便をイヤホンで聞いていた。これをきっかけにその後小生もラジオ深夜便を聞くようになった。角菩薩も大僧正と同じく佐賀県出身だが2人で佐賀だ鹿嶋だとお国自慢をしていたのが懐かしい。
写真:右一番手前が角菩薩(昨年8月 秋田駒ケ岳)
彼を偲んで三首
・自らを菩薩と称する山の友あまたの酒を持ちて逝きたる
・僧の声響き渡りて通夜の席遺影の友は微笑み聞くや
・通夜の席ギターと譜面置かれたる演奏会で使われしもの

熊野本宮大社、神倉神社
◎熊野本宮大社にある小さなお社に参拝したが、残念ながら熊野本宮大社の本殿そのものは見学出来なかった。山岳大師、次回から平地へ来たら是非ともケイタイの電源を入れて下さい。
新宮のビジネスホテルで市内マップを見たら「神倉神社」(かみくらじんじゃ)があり、翌日この神社を参拝した。熊野本宮大社の本殿に参拝出来なかったが、予定外の「神倉神社」へ行けたことで まいいっか良しとしよう。
◎小冊子「神倉神社とお燈祭 / 速玉文庫第三巻 」を読むと次のような文章がある。
・熊野速玉大社の摂社である神倉神社は、熊野三山の元宮と讃えられる古社であります。
・神倉山とは、現在は新宮市の西端に位置する権現山の東南端の突出部、ゴトビキ岩を中心とした地域を申します。
・「紀伊続風土記」:「神蔵は権現山の古名にして・・・・今これを神倉といふ」
・「熊野年代記」によれば、太古に熊野三山の中心となる神々、三所大神(夫須美神=那智社、早玉神=速玉社、家津美子神=本宮社)が神蔵山へ降臨、ここに二つの社殿を造って御奉祀したものと考えられます。
・カミノクラは神倉、神蔵、神庫とも諸書に見え、現在では専ら神倉を用います。これは古来、神倉がもっとも多く使用された慣用上からで、次に神蔵、それから神庫の文字も稀に用いています。
・神倉神社の神倉は、その神社の由来から考えて、神社の倉庫にあらずして、神の坐ます所の意であろう。カミクラのクラは、高御座のクラ、狩坐のクラ、馬の鞍のクラと同じく、座席の場所の意である。

夜行高速バスとJR線の割引
山岳大師が所属している山岳会は現地までの往復に夜行高速バスを利用している。その関係で我々も移動に夜行高速バス。しかし、年齢を重ねる毎に夜行高速バスは心身共に疲れる。今回も行きは新宿から夜行高速バスで9時間かけ大阪へ行ったが疲れた。バスそのものは前と違い乗客席が3列で通路にカーテンもあり快適になってはいるのだが・・・。
熊野古道の歩きを終えて小生のみ奈良市にいる西峯(ガデリウス時代の同期)に会うので新宮駅からJRで奈良へ行き、彼に会った帰りは京都から新幹線で東京へ戻った。「大人の休日倶楽部ジパング」に入会したのでJR線はJR東日本では3割引き、その他のJR会社は2割引き。今回初めてこの割引を利用した。高速バスも昼間であれば問題ないが、夜行の場合、次回からはJR線で現地の集合場所までと考えている。山岳大師は度量が広いので受け入れてくれると思う。

十首
・人混みの難波駅にて切符買う高野山への運賃見つつ

・高野山向かふケーブル乗るための駅名うれし極楽橋とは

・ケーブルの車内に立つ若者は英国からの学生と言ふ

・団体にガイドが解説してをれり後ろで聞きつつ金剛峯寺見ゆ

・山あひの大股集落ひそやかに陸軍兵士の墓並ぶかな

・霧雨に煙る伯母子岳登るとき三つ葉ツツジに降る霧やはらか

・港町に育ちし吾は住めぬかも天空溢る果無集落

・燕の巣雛四五羽口あける熊野山地は豊饒なるや

・小辺路終え三軒茶屋に中辺路のグループありて合流するや

・新宮に「神倉神社」あるを知るルーツの一つか吾の名「神蔵」


熊野古道・小辺路の旅

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