ベトナム北部の旅


1日目:11月5日(土)
自宅 - (中央線・山手線)⇒ 新宿 ⇒ 品川 - (京浜急行) ⇒ 羽田空港国際線ターミナル駅
羽田空港発 08:55- (全日空0857便) ⇒ ノイバイ国際空港(ハノイ)着 13:10 ⇒ バイチャイ(ハロン湾) ⇒ レストラン(夕食) ⇒ ホテル
宿泊:SAIGON HALONG HOTEL (バイチャイ)

新宿駅で下車。山手線に乗り換えるので階段を下りたが、中央線のホームで下車したのでなく早朝なので総武線のホームに着いたと気がついた。下車したホームの反対側が山手線の渋谷・品川方面行きなので階段を上がりホームへ戻ったら、山手線が発車して行った。元々、次の電車の予定だったので問題はない。
品川駅で京浜急行に乗り換えて羽田空港国際線ターミナル駅で下車。改札出口のエレベーターで簡単に3階の出発ロビーへ行った。やはり成田空港より羽田空港の方がずっと近くて便利。

団体カウンターで受付を済ませてから、妻は預け荷物をANAの窓口で手続きをした。手荷物検査や出国審査も簡単に終わる。羽田空港の国際線ターミナルを利用するのは初めてだ。カフェレストランで朝食。

飛行機は3席4席3で妻が通路側、小生は真ん中、窓側に若い男性(ベトナム人)の3人席。エコノミーでも昔と違い前の席との間隔がありリラックスできる。
離陸後、しばらくして飲物とスナックが配られる。液晶画面でニュースを見てからスペインのラブコメディ映画を観る。肩がこらず機内では気楽な映画がいい。妻は「シン・ゴジラ」を観ている。6時間15分の飛行時間なので機内食(和風か洋風を選択する)が出る。和風(うなぎの卵とじご飯)を注文したらカートになく、キャビンアテンダントがギャレーに取りに行ってしばらく戻って来なかった。我々の席は後方なので和風の注文が多くてカートに準備した分は全て出てしまったのだろう。間もなくして和風の食事が出された。ご飯はレンジで温められていたが、サラダなどは急いだのかシャリシャリだった。

食事が終わり隣の男性に声をかける。彼(28歳)は英語はダメで日本語も大変なようだが、日本で何をしていたかを聞いた。実習生として栃木県の会社で3年間働いて帰国するとのこと。仕事は「ショージュ」と言うので理解できず妻にも確認してみるが分からない。メモ用紙に「ショージュ」とカタカナで書いて彼に見せるが分からなそう。彼がスマホに日本語辞書を出して調べたので分かった。「溶接」のことだった。彼の日本語が十分でなく詳しい話は聞けないが、栃木県の鉄工所か建設会社で溶接工として働いていたのかな。外国人の技能実習生が長時間労働になるニュースが時々出ている。彼の仕事がブラック企業の過酷な環境でなかったと信じたい。彼は、ノイバイ国際空港が近くになると窓に顔を寄せてじっと下を見ていた。

ノイバイ国際空港へ着く。入国審査の外国人用ブースには1人の係員しかいなくて時間がかかる。別便の日本人も並びだして長い列となり、やっと別のブースに2人の係員が来て審査が早くなった。空港出口に現地のガイドさん(女性)が待っていた。どうやら我々が最後だったらしい。名前を名乗るとガイドさんは「他に2人カミクラさんがいます」と言う。今まで同性の人に出会ったことがなかったので驚いた。参加者は15名と聞いていたが、実際は12名だった。
空港ビルの2階にあるレストラン「NgocSuong」で軽い昼食。牛肉入りフォーと生春巻きを食べる。食後にパイナップルジュース(4ドル)を頼んだ。マイクロバスを待つ間にガイドさんからノイバイ国際空港が2年前に日本のODAにより大成建設が建てたとの説明を受ける。
ノイバイ国際空港 ノイバイ国際空港

民芸品店
18名乗り位のマイクロバスに乗りこむ。車体の下に旅行トランク類を入れるスペースのないタイプで、トランク類は一番後ろの座席に積んだ。高速道路を走るが、バイクや自転車も走っている。バイクや自転車は無料とのこと。スウェーデンをチャリで旅行中に間違って高速道路を走ったことを思い出した。3人や4人乗っているバイクも多い。
高層マンションが見える。日本と違い高層マンションの上層階は安く、なぜなら停電が時々ありエレベーターが停止するからとのこと。明日のハロン湾クルーズのためにバイチャイ地区に向かう。

途中、トイレ休憩も兼ねて民芸品店へ寄る。我々以外に日本人の旅行客もいる。無料のお茶とお菓子をが出て、しきりにコーヒーや刺繡の衣料、お菓子などを買うよう店員から勧められるが買わなかった。再びマイクロバスに乗り先へ進むと道路工事中のデコボコの一般道を走る。道路や下水道などのインフラ整備はまだまだこれからだ。センターラインがなく街路灯も少ない暗い道をマイクロバスはスピードを出して走る。対向車が来るとつい足に力が入る。後ろの席の「カミクラ」さんが「電柱は一本ものでなくフランジで止めてあるな」と一緒に来ている男性に話している。専門的な見方なので工事関係者かな? まだ小生から彼に正式に名乗っていないので機会を見て話してみよう。

バイチャイ地区へ入った。海側にフェンスが長く続く。大規模遊園地を建設中とのこと。ホテルへ行く前にお土産屋さんへ行く。ガイドさんが「ブランド品が沢山あるが中国製や韓国製で全て偽物なので安くても買わないように」と注意がある。確かにグッチやルイビトンのバック類が山積みされていて安い。中国人や韓国人の観光客も来ている。彼らはこれらのコピー品を買うのだろうか。ハノイを含めこの地域は中国との国境に近く、中国人は大型バスで国境を通過して観光に来るようだ。
ブランドコピー品の土産物屋 ブランドコピー品の土産物屋 ブランドコピー品の土産物屋

海鮮料理
夕食は別のホテルのレストランで海鮮料理。
円卓に6人ずつ座り隣は「カミクラ」さんだった。奥さんと仕事仲間(Fさん)と一緒に参加していた。漢字では「神倉」とのこと。伊勢崎市(群馬県)に住んでいて水道工事店の社長さん(昭和25年生まれ)。社長の住んでいる地区には「神倉」の名字が多いそうだ。Fさんは昭和24年生まれなので小生(昭和23年生まれ)が年長者となる。
神倉と聞いたので新宮市(和歌山県)にある「神倉神社」を思い出した。2014年5月、高野山から熊野本宮大社まで熊野古道・小辺路を歩いた。最終日に新宮市へ行き1泊したが、その時に「神倉神社」を偶然に知りお参りをした(ホームページの「旅の日記」→「熊野古道/小辺路」→「新宮市内散策」に載せてある)。社長に「神倉神社」の話をしたら伊勢崎の神倉さんたちと「神倉組」として日本各地を旅行していて、「神倉神社」も「神倉組」で行って神社から歓迎されたそうだ。「神倉」から「神倉神社」へとつながり旅の出会いの面白さを実感した。妻の隣に座っている女性は市川市に住んでいるNさん。彼女が前に海外旅行したときに参加者が日本各地からで、名前を覚えるのが大変だったとのこと。そこで、名前でなく住まいの市町村名でお互いを呼んでいたそうだ(青森さんや名古屋さんなど)。確かにこの方法が便利だ。
料理の量が多く残してしまったが、隣のグループも食べきれず残していた。

宿泊するホテルへ到着。明日朝9時にロビー集合となった。


2日目:11月6日(日)
ホテル ⇒ トゥアンチャウ島 (ハロン湾クルーズ船乗り場) - (クルーズ船) ⇒ ハロン湾クルーズ (ダウゴ島・ティエンクン洞、昼食、闘鶏岩など)⇒ クルーズ船乗り場 - (マイクロバス) ⇒ ホンガイ市場 ⇒ 土産物店 ⇒ ハノイ市内 (レストラン、ナイトマーケット) ⇒ ホテル
宿泊:BAOSON HOTEL INTERNATIONAL(ハノイ))
朝、ケイタイのアラームが鳴った。フロントから朝6時30分にモーニングコールなので昨夜 念のためにケイタイに朝6時31分でアラームをセットしておいた。妻に聞いたがモーニングコールはなかったと言う。時計を見たら朝4時31分。ケイタイは日本時間のままでベトナム時間に変更していなく失敗だった。
14階のレストランで朝食バイキング。同じテーブルに我々の団体のご夫婦がいた。五井(千葉県市原市)に住んでいるとのこと。旦那さんは昭和28年生まれの63歳。ハロン湾は霞んでいるが14階からの眺めは良い。食後、14階のテラスを一回りする。下に見える建設中の大型遊園地の敷地は想像以上に広かった。
9時、ロビーに集合。「神倉さん」がいたので「社長」と声をかけて彼と話した。今後は「社長」と呼ぶことにしよう。

マイクロバスに乗車してクルーズ船乗り場へ向かう。ガイドさんに聞いたら大型遊園地は中国や韓国の資本は入ってなくベトナムの財閥だけが投資とのこと。堤のような長い橋を渡りトゥアンチャウ島へ入ると別荘地や遊園地がある。クルーズ船乗り場に到着。土産物を売る小さい店が何軒か桟橋にある。桟橋にはクルーズ船が何隻も接岸している。我々が乗る船の到着を待つ。土産物を売る小さい店が何軒かある。
クルーズターミナルビル クルーズ船乗り場

ハロン湾(世界遺産)クルーズ
ハロン(Ha Long)という地名は、ハ=下りる、ロン=龍で漢字で「下龍」と書き、「龍が下り立った場所」というを意味。大小2000の奇岩が海面に浮かんでいる世界遺産。「海の桂林」とも言われていて海外からの観光客が多い。
ガイドさんによれば、日本人や中国人、韓国人などは陸上のホテルに泊まり、3~4時間のショートクルーズを好むとのこと。一方、欧米人は宿泊設備のあるクルーズ船で1泊2日や2泊3日のクルーズが多いそうだ。クルーズ船は約500隻ありその内300隻は宿泊のできる水上ホテルタイプ。
我々が乗るクルーズ船が着き乗船。40名位乗れる木造船だが我々12名だけの貸し切りなのでゆったりだ。クルーズ船のイメージは地中海やカリブ海を走る浮かぶホテルのような豪華船である。しかし、我々の乗船した船の名称は観光船でいいのではと思う。穏やかな海面を進む。階上にデッキがありデッキチェアに横たわりのんびりと風景を楽しむ。操舵室はデッキにある。乗客がデッキに大勢いると視界が妨げられて舵を取るのが大変かと思うのだが・・・。

動画:クルーズ船乗り場

動画:出航
クルーズ船のデッキ クルーズ船のデッキ

ティエンクン洞
ティエンクン洞のあるダウゴー島へ立ち寄る。階段を上り展望台で説明を聞いた。
上陸 島の展望台より桟橋を眺める

天空の意味がある洞の中へ入る。思ったより天井が高く広々とした空間で歩道も整備されている。様々な鍾乳石が赤、青、緑や黄色でライトアップされている。こんなにもカラフルでなくともと思うが感性の違いか。
鍾乳石 鍾乳石 鍾乳石

闘鶏岩
ティエンクン洞の見学を終えて再びクルーズ船に乗船。闘鶏岩の近くにクルーズ船が集まっている。乗客がデッキで岩の写真を撮り終わった船から岩の近くを離れる。雄鶏と雌鶏の夫婦岩とも言われていて闘鶏岩よりこの名前の方がいい。見る角度によって口づけしているように見える。
闘鶏岩 闘鶏岩

ランチ
料理が始まる前に小型の漁船がクルーズ船に横付けし漁師が魚介類を持ってきて販売する。渡りカニやシャコ、ハマグリなどがある。3~5ドルで買ったものはクルーズ船で調理してくれる。
同じテーブルの市川さん(市川市のNさん)が「お二人のお邪魔になるので別のテーブルへ行きます」と言い後ろのテーブルへ移動した。「折角なので一緒に食べましょうよ!」と声をかけ彼女に戻ってきてもらった。料理はツアー代に含まれているが飲物は別料金。頼んだ缶ビール(3ドル)を飲む。社長たちは注文したボトルワインを飲んでいる。お酒の好きな人たちだ。食後にクルーズ船の女性スタッフがテーブルを回って人形やアクセサリーなどを売りに来る。
漁師と魚介類 カニ肉詰め揚物 揚げ春巻きなど


動画:クルーズ中

マイクロバス
桟橋へ戻るときに桟橋から出てくるクルーズ船が接近してきた。我々のクルーズ船は警笛を大きく鳴らした。しかし、相手の舳先が我々の船の舷側にぶつかった。幸いに軽い衝突で大きな事故にならずに良かった。妻はデッキにいたので衝突を目撃して驚いたそうだ。

我々のマイクロバスがクルーズターミナルビルの前に待っていた。12名の団体なのでこのタイプのバスになったと思うが、15名だったら一回り大きなバスになったのではなかろうか。移動に3~4時間乗るのでやはりこのタイプでは疲れる。

トゥアンチャウ島からバイチャイ町を通りバイチャイ橋(全長903m)を渡る。この橋は日本のODAにより清水建設が建てたもの。バイチャイとホンガイ間ケーブルカーが間もなく完成するようだ。大きな街の中をホンガイ市場へ進む。どの家も給水タンクを屋上に置いていて沖縄を思い出す。


ホンガイ市場
ガイドさんが「市場は臭いがきつので臭いがダメな人はバスの中で待っていてください」と言う。我々は全員下車し市場を歩く。朝は地元の人が買い物をするので混んでいるとのこと。市場の人たちは見学だけの観光客は邪魔になるだけなので特に朝は歓迎しないそうだ。「ハロン市場」はホンガイにありハロン湾で最も大きな市場。市場の裏の一部が魚介類を売っていて「ホンガイ市場」と呼ばれている。臭いはあるが別にどうってことない。地面に置いたカゴや桶に様々な魚介類が並んでいる。正午近くなのでお客さんはいなく店の人たちはご飯を食べていた。
ホンガイ市場 ホンガイ市場 ホンガイ市場

市場を出て歩いて近くのデパートへ行きトイレ休憩。このデパートは不動産業の財閥がこの周辺を住宅開発していて先にデパートを建てたそうだ。大きな河沿いを進むと大型の貨物船が3隻接岸している。斜め前に座っている五井さんが「うちの船がいますがどの船か分かりますか?」と言う。真ん中の船の船体の色とファンネル(煙突)の色が「商船三井」なので答えると彼は少々驚いたような顔だった。彼はさらに「もう少し行くと関連の造船所がある」と言う。確かに造船所が見えた。五井さんは船会社か造船所関係の人なのだろう。

民芸品店「ABC Mart」
トイレ休憩も兼ねて国営の民芸品店「ABC Mart」へ立ち寄る。ベトナム戦争で米軍は有毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤を大量に撒いた。撒かれたベトナム人はその影響で奇形児を含む先天性障がい者が多く生まれた。これらの人たちに刺繡の技術を身につけさせその作品を販売して生活できるようにとの説明があった。玄関に「写真撮影禁止」とあり店内の撮影はできなかった。大勢の障がい者が刺繍の作業をしている。アメリカ人はこの店へ来て何を感じるのだろうか? 刺繍品の部屋の他にバック類の部屋やコーヒー・お菓子類を売っている部屋があった。家に小物入れのバックを忘れてきて今回の旅行中 不便だったので、「kipling」のバックを買った。我々のグループも色々買い物をしたようだ。

昨日 ノイバイ国際空港からハロン湾へ向かう途中で見た「ファーライ石炭火力発電所」の前を通る。1号機はロシア製で2号機は日本製。冷戦時代は旧ソ連から経済援助や技術援助があった。

「Canon」の大きな看板が出ている工場がある。やはり、昨日 ノイバイ国際空港から走っている途中で見た工場だ。プリンターの製造工場で従業員8千人。今日は日曜日なので駐車場は空いているが平日はバイクで溢れているそうだ。

イオン・ショッピングモールがあり賑わっている。市街地とショッピングモール間の連絡バスもある。

車とバイクで混雑している紅河の大きな橋を渡りハノイ市街地へ入る。今日朝からここまで来る途中に一般道路で2件のバイク事故を見た。1件は病院の前だった。ガイドさんによれば警察を呼ばずに示談にすることが多いようだ。ハノイ(Ha Noi)の意味は、河(Ha ハ)の内(Noi ノイ)で河内となる。長い間 フランスの植民地だったので市街地はフランスの街の雰囲気を残している。

夕食はベトナム料理。テーブルの前に五井さん夫婦が座っていた。バスの中で五井さんが船や造船所の話をしていたので仕事を聞いてみた。三井造船の千葉造船所で船装関係の仕事をしていて今年の春に退職したとのこと。「造船所は女性が少ないが、社内結婚でした」と隣の奥さんを見ながら言う。小生も社内結婚だったことを白状する。三井造船の人だったので親しみを覚えて、さらに「実は、若いころ一時期 船に乗っていた。大学を卒業した時は海運業界は不況でなく殆んどが船会社へ就職した。船員を辞めてから商社や造船所、損保、機械メーカーなどへ転職した同期生も多かった」と話した。ベトナムの旅で船や造船所の話ができるとは思わなかった。妻は隣の女性たち(横浜の女性3人組ら)と女子会で楽しかったとのこと。

ナイトマーケツト
夕食後、ナイトマーケットを見学するためにマイクロバスに乗車。ホアンキエム瑚の近くで下車し、タンロン水上人形劇場の前の雑踏を歩く。ガイドさんの傍について道を横断する。1人で横断は無理。ナイトマーケットへ行く。週末だけ歩行者天国にしてナイトマーケットが開かれ、雑貨類や衣料品、民芸品、お菓子類などの店がたくさん出ている。スリに注意しながら店を見て歩く。
急に騒がしくなった。しばらくして軽トラと警官たちがやって来て商店街の歩道上の売り物を撤去し軽トラに積み込んでいる。店の人たちは慌てて品物を店の中へ入れている。どうやらこのナイトマーケットでは規則上 商品を歩道に並べて販売してはいけないらしい。
ナイトマーケット ナイトマーケット ナイトマーケット

マイクロバスでホテルに到着。今晩から3泊はこのホテルなのでマイクロバスに積んである荷物類は全て下して、各自 ホテルの部屋へ持って行く。


3日目:11月7日(月)
ホテル ⇒ ニンビン/ ホアルー(世界遺産)⇒ レストラン(昼食) ⇒チャンアン(世界遺産) ⇒ レストラン(夕食) ⇒ ホテル
宿泊:前日と同じ
朝8時頃、ホテルの部屋から外を見る。道路は車とバイクでラッシュ。特に交差点はすさまじい混雑だが、要領が分かっているのだろうスムーズに流れている。ハノイ圏で人口600万、ハノイ市で350万人。慢性的な道路の混雑を避けるためには電車や地下鉄の公共交通しか方法がないと思う。10年先か20年先か分からないが計画はあるそうだ。

動画:朝の車とバイク

朝食はホテル内のレストランでバイキング。牛肉入りフォーも食べる。家での朝食と違い時間をかけてフルーツのデザートとコーヒーを飲む。
9時にロビーに集合。一番後ろの席は空いていて座っている人もいるが、それでも車内の狭さは変わらない。今日はハノイから南のニンビン省(Ninh Binh)のホアルー(Hoa Lu)とチャンアン(Thang An)へ行く。高速道路を走ると警笛を鳴らしながら猛烈なスピードで大型の路線バスが我々のバスを追い越して行く。高速道路上にもお客さんがいて、早くお客さんを見つけて乗せる為に競争相手のバスよりスピードを出す。日本の様にバス停があればと思うのだがその様に考えないのだろう。お客さんは降りたい所で降りれるとのこと。一般道へ入るがインフラはまだまだ整備されていない。舗装や下水道整備など何年かかるのだろうか? 2時間位でホアルーへ到着。

古都ホアルー(世界遺産)観光
1010年にハノイへ遷都されるまで、都が置かれた所。かつては堅固な城壁に囲まれていたそうだ。残っている遺跡は大きくないが、霧雨の中の遺跡はなかなか風情がある。
観光用の水牛がいるが水牛に乗って撮影すると有料。水牛は肉が固く肉用でなく農耕用に使われている。ディン・ティエン・ホアン祠は小さいがベトナムの歴史上、重要な所。欧米の観光客も多い。中国風の祠であり、特にベトナム北部は歴史的に中国の影響が大きい。
遺跡への門 水牛 祠への門
説明のツアーガイドさん 祠の入口 ディン・ティエン・ホアン祠

昼食の為にマイクロバスに乗車しレストランへ向かう。この地区の山々には野生のヤギが多くヤギ肉料理で有名。ベトナム風の建物に入り昼食。隣りの女性は蒲田(東京都大田区)に住んでいて羽田空港まで30分で行けると言う。彼女を「蒲田さん」と覚えておこう。ヤギ肉は香辛料のせいか臭みもなく問題なく食べられた。缶ビール「333」を飲む。
レストラン ヤギ肉の串焼きなど レストラン

チャンアン(世界遺産)クルーズ
昼食を終えてマイクロバスでチャンアンへ行く。「陸の桂林」とも呼ばれ石灰岩の奇岩が連なるカルスト地形の風光明媚な所。
手漕ぎのボートにライフジャケットをつけて4人ずつ乗り組む。進行方向の前の席に妻と2人で座り、後ろに三井造船の五井さん夫妻(名前を聞かなかったので五井さんとする)が座った。漕ぎ手のお姉さん(おばちゃん?)は一番後ろに座り進行方向を向いて櫂を漕ぐ。一般にボートは進路に背を向けて漕ぐが、ここでは狭い洞窟も通るので進路確認の為に前を向いている。石灰岩の奇岩が連なる水路を進む。
ビデオカメラで撮影しているボートが通り過ぎる。その後から新郎新婦を乗せたボートが進む。女性はウェディングドレス。「おめでとう~」と声をかける。

動画:花嫁と花婿

前のボートの後をついて進む。渓流の両端は自然が残されていて野生のヤギも見える。狭い洞窟をいくつか通る。体をかがめないといけない狭いものもありスリル満点。完全に伏せていると「前も見た方がいい」と妻が言う。しかし、この姿勢で前を見ると首(頸椎)に負担がかかりよくない。15年以上前に頚椎を痛めた小生は無理な姿勢を取らない方がいい。灯りをつけた洞窟をいくつか通る。お姉さんは洞窟内の岩に手をついて進路を確保する。長さ320mもの洞窟もある。ところどころに古い寺院が現れる。後半、お姉さんは疲れたのか腕でなく両足を使って漕いでいた。器用なものだ。ボートを降りる場所へ戻る時、すぐ後ろにライフジャケットを脱いだ欧米人が乗ったボートがいる。彼らは 我々のボートを追い越そうとピッチを上げる。我々も負けまいとライフジャケットを脱いで漕ぐが彼らが先に到着した。妻から「貴方が真面目に漕がないから負けたじゃないの」と怒られた。確かに後ろのボートに向かって挑発するように「ファイト!」と彼らに叫ぶだけで漕ぐのはおろそかだった。三井造船の五井さんは頑張って漕いでいたのに・・・・。
ボートを降りてからお姉さんにチップとして1ドルを渡す。チップはガイドさんから事前に言われていた。
※写真は我々の前を行くボート(横浜の女子3人組ら)
クルーズ クルーズ クルーズ

クルーズ クルーズ クルーズ

チャンアンからハノイへ戻る。皆さん疲れたのかマイクロバスの車内で眠っている人が多い。
ハノイ市内のレストラン「LE TONKIN」へ到着。長いテーブルに各自席に着く。いつものようにガイドさんが飲物の注文を取る。缶ビールの「ハノイビール」を頼む。
レストラン「LE TONKIN」

食後、ホテルに戻ってからマッサージの希望者でマッサージ店へ行く。女性は妻を含め6名で男性は社長と小生の2名。1時間半のコースで3,200円をガイドさんへ払う。店に着いてから女性たちと別れて部屋へ入る。社長は小生の隣のベットに横たわる。若い女性が2人来て社長と小生にマッサージを始める。小さな木棒で足裏のツボを押したり、温かい石を背中に乗せたり、オイルでマッサージなどをする。社長は女性から「オニイサン オトコマエネ」と言われている。小生の担当の女性も同じセリフを言う。さらに、「オニイサン ハガキレイネ」と言う。今、奥歯を治療中なので日本へ戻ったら歯医者へ行くのを思い出した。彼女らは営業トークなので、中国人には中国語で韓国人には韓国語で同じ内容のセリフを言うのだろう。社長はマッサージ中 殆んど寝ていたが・・・・。妻や女性たちは、「オネエサン カワイイネ キレイネ」と言われたそうだ。

ホテルへ帰り部屋のテレビをつける。アメリカの大統領選のレポートをしているが、クリントンとトランプは接戦でどちらが勝つのか予測できない。トランプは観客を煽るツボを知っていて役者だなと思う。トランプの演説に熱狂する人々を見ていると、ヒットラーとナチス・ドイツが政権を握るときもこういう雰囲気だったのかと思う


4日目:11月8日(火)
ホテル ⇒ タンロン遺跡 ⇒ 旧市街観光(シクロ)⇒ レストラン(昼食) ⇒ ホーチミン廟・ホーチミンの家・一柱寺 ⇒ 水上人形劇場 ⇒ レストラン(夕食)⇒ ホテル
宿泊:前日と同じ

今日は一日中ハノイ市内観光をする。

タンロン遺跡(世界遺産)

11~19世紀 この地域にベトナム王朝の城が築かれていた。タンロンは、昇龍との意味でハノイの昔の名前。この一帯は長い間 軍の管理下にあったが、2005年から遺跡の発掘調査が行われ一部が一般公開されている。発掘作業は今も続けられている。隣りに「軍事歴史博物館」があり、鉄柵越しに展示品の戦闘機などが見える。受付のゲートを通り広場を歩く。第一城壁の正門であった端門に歩いて行くと大勢の小学生がいる。社会科見学のようだ。子供たちはどこの国も同じで元気だ。この子たちがかつてのベトナムのように大国の干渉を受け戦争に巻き込まれないことを心から祈っている。隣りの「ベトナム軍事歴史博物館」にある国旗掲揚塔が見える。端門の裏側へ進むとガラス張りで保存されている遺跡が見える。さらに進むと龍の手すりの階段がある。もともとこの上には皇帝の宮殿である敬天殿が建っていたが現在残っているのはこの龍の階段のみ。
端門 手前のガラスの下に遺跡がある 龍の階段

地下室への階段
北ベトナム軍が作戦司令部として使用した建物(D-67)の内部を見学する。ベトナム戦争ではここで作戦を立てて各部隊へ指令したと思うと感慨深い。1階の作戦会議室には会議に参列した人たちのネームプレートが置いてあり、ボー・グエン・ザップ将軍の席もあった。ザップ将軍はホーチミンが率いる仏軍や米軍の闘いで勝利に導いた伝説的な将軍。特に1954年の仏軍とのディエンビエンフーの闘いで仏軍を降伏させたことはよく知られている。会議室の壁には作戦の色々な地図が貼ってある。地下約10mに下りると会議室と機材室の2部屋がある。会議室の正面にはホーチミンの写真がかけてある。この地下室から緊急時の脱出経路として15km程先まで地下道が伸びているとのこと。フランス軍の砲撃の跡が残る正北門から出た。待っていたマイクロバスに乗車。
1階会議室のザップ将軍の席 地下の会議室 北正門

マイクロバスに乗車しシクロ乗り場へ向かう途中、横浜の女性が「タンロン遺跡のトイレにバックを忘れた」と言う。ガイドさんは「これからシクロに乗車して市内見学します。終ったら戻ってみます」と返事していた。

シクロでの市内見学
観光用のシクロ乗り場へ行く。全員が1台ずつシクロに乗り列になって出発。ホアンキエム瑚近くの旧市街をまわる。運転手さんは建物を指さして話すが言葉が分からない。運転手さん、それより安全運転で頼みますよ。狭い商店街を進むと歩行者がシクロのすぐそばを通る。運転手さんは子供が2人いると言う。終点でシクロを下りる時、事前にガイドさんからチップ1ドルと聞いていたので1ドルを渡した。運転手さん「子供2人いるので2ドル欲しい」。「私も子供2人いるのでおあいこだ」とあまり理屈にならないことを言って追加の1ドルは払わなかった。
シクロ シクロ
動画:シクロに乗車

闘う民衆?の像
大教会
シクロを下りた近くに像がある。特定のモデルでなく闘う民衆の像のようだ。マイクロバスに乗車してタンロン遺跡の北正門へ戻る途中に大教会の前を通る。下車して見学でなく車中から見るだけ。フランス植民地時代に建てられた教会。外壁は白と黒の石材で建てられたのだが、現在はカビとほこりで黒ずんでいる。タンロン遺跡の北正門へ到着。ガイドさんが横浜の女性と下車し北正門を通り中へ入ってゆく。しばらくして、2人はマイクロバスに戻ってきた。女性は手にバックを持っていたので我々全員で大きな拍手で迎えた。イオン系列のスーパーへ立ち寄る。コーヒーや缶ビール、お菓子類などが安い。レストランで缶ビールは3ドルだが、ここでは1ドル。皆さんも安いと言いながら買い物をしていた。

ハノイホテルのレストランで昼食。飲茶なので食べやすく満足。生ビールがあり生にした。今までのレストランは生ビールはなかった。マイクロバスに乗る前に伊勢崎のFさんとトイレへ行く。Fさんとの共通の話題は「トイレが近い」こと。Fさんは水道工事現場で何回もトイレへ行くので大変だそうだ。頻尿改善の「ノコギリヤシ」を1年ほど飲んでいて改善されていると言っていた。小生も試しに1カ月だけ飲んだことがあるが、さほど改善しなかった。やはり、長期間 飲んでみないといけないのだな。

ホーチミン廟
バーディン広場を歩きホーチミン廟へ行く。喧噪の市街地から離れて静かな広場は気持ちよい。1945年9月2日にホーチミンがこの広場でベトナム民主共和国の独立宣言を読み上げた。この廟には国民的英雄のホーチミンの遺体がガラスケースに入れられて安置されている。今の時期はメンテ中で見学できない。オープンしている時は毎日ベトナム全土から大勢の人が見学に来て長時間待つそうだ。廟の正門の両側に純白の制服を着た衛兵が立っている。廟の左右の長い塀に大きくスローガンが書かれている。左側の意味は「ベトナム社会主義国 万歳!」で、右側は「偉大なるホーチミン主席は永遠に我々の中で生きている!」となる。
左側のスローガン ホーチミン廟 右側のスローガン
ホーチミンの家
パンフ
ホーチミン廟から歩いてホーチミンの家へ行く。ホーチミンが実際に暮らしていた住居と官邸を公開している。パンフでは英語、フランス語、中国語、韓国語の4カ国語で説明している。なぜ日本語がないのか? ここへ来る日本人は少ないのだろうか? 昔と違い中国人や韓国人の旅行客が世界に多くなっている現実を実感する。クリーム色の洋館は執務を行った大統領府。第54号棟は彼が1954年から住んでいた家。
「ホーチミンの家」入口のプレート 大統領府 第54号棟

第54号棟の書斎にマルクスとレーニンの肖像画がかけられている。池を左にして進むと高床式の2階建ての家がある。1969年までこの家に住んでいて書斎や簡素なベットがあった。外国人がいたので声をかけるとブラジル人だった。リオデジャネイロに住んでいると言うので彼に「私の息子とその家族は、マナウスに住んでいる」と伝えると、彼は「遠い!」とジェスチャーをまじえて言う。そうか、リオデジャネイロに住んでいるブラジル人にとってもマナウスは遠いのか!! !
書斎 高床式の家の中

一柱寺
買った絵葉書
ホーチミンの家を出て一柱寺へ行く。1本の柱の上に仏堂をのせたユニークな形から一柱寺と呼ばれている。ハス池の中に建っているため柱が劣化するので 昨年改修工事をしたとのことで寺はきれいだった。
家内安全と娘家族、息子家族の健康をお祈りした。ガイドさんから安産のお寺でもあると聞いた妻は、息子にもう1人子供が生まれたらどうしようと真顔で言う。息子にはすでに4人の子供がいるので、確かに5人になるとじぃじぃとばぁばぁも大変だ。売店に面白い絵葉書があり買った。ベトナムではバイクに大人2人子供1人の計3人まで乗れる。実際には4人5人乗っているのを見た。又、豚やヤギ、鶏などを乗せても構わない。バイクに豚を乗せている絵葉書は売り切れだったので鶏を積んでいるものを買う。

一柱寺から歩いて民芸店へ案内される。やや高級な店で値段の高い品物が多い。社長は前にベトナムへ来た時にバッチャン製の大きな丼を気に入って買ったとのこと。この店に同じサイズのものがあれば買うつもりだったが無かったので残念がっていた。

タンロン水上人形劇
タンロン水上人形劇場
4時10分からの公演まで30分位あるので妻とハイランドコーヒー店を探しに行く。ナイトマーケットのあった交差点近くまで行くが店が見つからないので引き返す。アイスを買うのでコンビニに入る。手持ちの7000ドンを店員に見せてこれで買えるアイスと言ったら、アイスのケースの中から5cm位の小さなアイスを1個取り出した。あまりにも小さいアイスなので諦めた。考えてみれば7000ドンは0を2つ取って70、70を2で割って35、つまり35円。7000ドンもあるのだからと錯覚してしまうが、35円にしかならない。人形劇場近くの角にある書店入る。ベトナム関係の書籍が多い。又、センスの良い民芸品もあるが値段は高めだった。
劇場のビルへ戻るとツアーの人たちはガイドさんと1階のカフェでコーヒーを飲んでいた。
パンフ(表) パンフ(裏)

欧米人を含む大勢の観客が劇場内へ入る。写真撮影は1ドルなので入口で払う。我々は前から3列目の席で小生がカメラを持っているので社長が真ん中に近い席を譲ってくれた。前の欧米人2人が大きく視界がややよくないが仕方がない。男女混合の7人ほどの演奏者が太鼓や横笛、ハープ、三味線、琴のような弦楽器を演奏する。水面を舞台にして3~5分の短編が14話 演じられる。歌とセリフをバックに妖精が舞ったり、牛が飛び跳ねたり、龍が昇天したりとテンポの速い展開が続く。繊細な人形の動きは驚きものだ。
人形の使い手は、池を囲むように掛けられた薄い布の奥に隠れていて人形につけた長い竹と糸を操って人形を動かしている。公演の最後に人形使いの全員が出てきて挨拶をした。
農村の生活風景 仙女の踊り 演目者たち


動画:人形劇

動画:人形劇場

動画:人形劇場

夕食のレストランへ行くマイクロバスの中で社長に人形劇場で座席を譲ってくれたお礼に缶ビールを渡す。
レストラン「maisonvie」はベトナム風フレンチの料理なので妻は喜んでいた。我々の円卓は三井造船の五井さん夫妻と蒲田さん、市川さんと一緒で談笑しながら料理を味わった。
夕食 夕食 夕食

ホテルへ戻る。テレビをつけるとCNNもBBCもアメリカの大統領選ばかり放送している。


5日目:11月9日(火)
ホテル -(タクシー)⇒ ベトナム軍事歴史博物館 -(タクシー)⇒ ホテル ⇒ ノイバイ国際空港 発15:40 -(全日空0858便)⇒ 羽田空港 着22:15
正午にロビー集合なので午前中は自由行動。「ベトナム軍事歴史博物館」へ行くことにした。我々の世代はベトナム戦争の記憶がありいい機会なので見学しよう。
フロントでタクシーを呼んでもらう。フロントを経由すればタクシー代をボラれることはないだろう。ドアボーイがタクシーグループのタクシーの運転手に行先を指示してくれた。やはり、道路は朝の通勤・通学で大渋滞。2人乗りしているバイクは2人用のレインコートで前後がつながっている。運転手はカーナビで行先を確認している。
ホテルで目的地まで8万ドン位と聞いていた。どうもベトナムの通貨ドンはしっくりこない。1万ドンや10万ドンと桁が多すぎて混乱する。ガイドさんが初日に「まずドンの0を2つ取ってください。それを2で割ると日本円になります」と教えてくれた。10万ドンの0を2つ取ると1000ドン、1000ドンを2で割ると500、つまり500円。
博物館が見えたが運転手は入口が分からないらしく博物館の周りを一周した。メーターを見たら10万ドン。運転手はわざと一周したのかな? 


動画:タクシーからの光景

ベトナム軍事歴史博物館
受付で入館料3万ドンを払い敷地へ入る。昨日 ハロン遺跡見学した時に鉄柵越しに見た戦闘機などが置いてある。これはソ連製のミグでベトナム戦争中に米軍と戦った。
受付 ソ連製ミグ21型戦闘 ソ連製戦車

国旗掲揚塔に大勢の小学生たちがいる。クラス毎に記念写真を撮ってもらっている。塔の中間まで上がったが一番上までの階段は通行禁止だった。塔の一番上からハノイ市内を眺めたかっのだが残念。実際に使われた各種の軍用機が展示されている。米軍機を撃墜した地対空ミサイルも展示されている。
国旗掲揚塔前の小学生たち 塔の中間から下を見る地対空ミサイル

奇妙なモニュメントがある。撃墜した米軍の爆撃機B-52や戦闘機の機体の残骸と破損したエンジンを組み合わせたものだ。ベトナム戦争を象徴するモニュメントだ。
モニュメント モニュメント

インドシナ戦争で仏軍と戦い勝利したディエンビエンフーの大きなジオラマがある。小学生たちがやってきて席に着くが先生たちが静かにするよう何度も注意するが騒ぎは収まらない。解説者が戦いの説明を始めるが隣の子とふざけている子もいる。娘の旦那さんは、小学校の先生だが国は違っても児童たちの行動は同じようなものだろう。
別の建物へ入る。中国やフランス、アメリカとの戦いの説明があるが日本が進出してきた時の説明もある。サイゴン陥落(1974年4月30日)の際に大統領官邸に突入したソ連製のT54B型843号戦車が展示してある体育館のような部屋へ入る。ここでも小学生たちが係員から説明を聞きながら見学している。
中国と1000年、フランスと100年闘ってきたトナムはすごい国だ。さらに日本の進出とアメリカとの闘い。我々のツアーガイドが「ホーチミン」のことを誇らしく語っていたが、我々が外国人に誇らしく語れる日本人はいるのだろうか?
ディエンビェンフーの戦いのジオラマ 小学生たち T5B型843号戦車

敷地内にハイランドコーヒー店がある。小雨なので外の席でなく建物の中にある席に行く。注文したら外の店からコーヒーを持ってきた。

レーニン像
博物館を出て安全なタクシーグループのタクシーをつかまえようとしたが、なかなかつかまらない。パンフに旅行者に安心なタクシー会社が載っているが、「有名タクシー会社の名前を利用した偽物タクシーがいるので気をつけること」とある。気をつけろと言われても偽物を見分けることができるのか? 

レーニン像のあるレーニン広場へ移動する。今回の旅行中、ベトナムが社会主義国と実感しなかったが、レーニン像を見ると体制の違いを認識する。この近くには中国大使館がある。ベトナム人は、過去の歴史から中国に対してはあまり良い感情を持っていないようだ。レーニン広場でもタクシーはつかまらないので、交差点方向へ戻ると反対側の車線にタクシーグループのタクシーを見つけたので、手を振るとUターンしてくれたので乗車。ホテルの名刺を見せて走ってもらう。問題なくホテルへ着いた。タクシー料金は8万ドンだった。

正午、ロビーに集合しマイクロバスに乗り込む。いつものように雑踏の市内をノイバイ国際空港へ向かう。これで車とバイクで雑踏のハノイとはお別れ。


ノイバイ国際空港出発ロビー
ノイバイ国際空港へ到着。お世話になったガイドさんと別れる。入国審査の前に妻は残っているドンを使い土産物屋でお菓子類を買う。入国審査を通りセキュリティでは靴を脱いでゲイトを通った。搭乗前に妻からもらったドンを全て使うためにバーガーキングへ行く。店員にドンを見せてこれで買えるものと言うと、コーヒー3ドルと揚物2ドル X 2種類の4ドルで計7ドルに相当するとのことで注文した。

飛行機に乗り組む。真ん中の3人席で妻が通路側で小生は真ん中。隣りに日本の老婦人。「シン・ゴジラ」と「後妻業の女」を観る。「シン・ゴジラ」の日系アメリカ人役の女優はもう少しインテリジェンスを感じさせる女優の方がよかったのでは。「後妻業の女」は豊川悦司と大竹しのぶ が役柄をぴったりと演じていた。妻は「君の名は。」を観ているが、高3の孫娘とこの映画の話をしてもこれで通じると言う。映画を観ている小生の肩を隣の女性が軽く叩く。イヤホンを外すと、ニュースを観ている女性が「トランプが勝ったので大統領になる!」と言う。女性は呟く「これから世界はどうなるのかしら?」。

映画を2本観て食事であっという間にに羽田空港へ着いた。東京は寒いと聞いていたので飛行機を降りてからセーターを着る。市川のNさんも準備していたニットの帽子を被っていた。来た時と逆のルートで京急羽田空港国際線ターミナルから京急品川駅へ行き、JR山手線で新宿駅、中央線に乗り換えて東小金井駅。
駅前のコンビニで缶ビール(ハノイビールや333ビールでなくアサヒスーパードライ)を買って帰宅。



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