長距離フェリー(那覇新港〜東京港)
7月24日〜7月26日 2泊


32日目:7月24日(日) 晴  
宿 ⇒ 那覇新港 - フェリー「飛龍21」
宿泊:フェリー「飛龍21」
フェリー飛龍21/那覇新港
宿のオーナーの車で港まで送ってもらうことにした。「那覇新港」と言ったのだが、「那覇港」の方向へ向かうのでもう一度伝えた。彼は、「那覇新港」でなく昔の名前の「安謝新港」を今でも覚えていたので間違えたそうだ。「泊大橋」を通りフェリーターミナルへ向かう車の中で復帰前にドルを使用していたことや若いときに内地で20年位働いていたことなど話してくれた。微笑みが印象的な人だ。
フェリーターミナルに着いて彼にお礼を言い別れた。少し離れた岸壁にマルエーフェリー(株)の「フェリー飛龍21」が荷役中。
フェリー飛龍21の主要目
・総トン数/9,225トン
・全長/167m、幅/22m
・旅客定員/92名
・航海速力/22.5ノット
・主機関/12,000馬力 X 2基
・建造/三菱重工業・下関造船所
・竣工/1996年3月
・航路/国内最長1,743km、沖縄〜名瀬(奄美大島)〜志布志(鹿児島)〜東京

乗船客が何人か待っている。窓口で袋に入れた自転車の運賃を聞いたら、手荷物扱いになるので無料とのこと。袋に入れず自転車の状態だと6千円かかる。
出航1時間前位にマイクロバスが来て乗船客を乗せてやや離れた岸壁に接岸中の「フェリー飛龍21」まで行く。かなり大きなフェリーだ。長いタラップを上がると船内にエレベーターがあり案内所のあるフロアーまで行く。船客係に乗船券を見せ船室に案内される。2段ベットが2つの計4名の部屋(シャワー・トイレ付き)。 下の段が空いていたので確保する。
甲板へ出て岸壁を見ると機動隊員がいて車両がある。機動隊員が乗船してくる。

那覇新港を出航後も甲板にいて港や飛行場を見てのんびりとする。
泊大橋 那覇空港

母親と男の子がいて、男の子は元気な子で甲板を走り回っていて母親は大変そうだ。右側に沖縄本島を見ながら時間を過ごす。左側に特徴のある山が見えてくる。伊江島の城山だ。与論島から本部(もとぶ)港へ向かう「フェリーあけぼの」と行き交う。この船は「フェリー飛龍21」と同じマルエーフェリー(株)が鹿児島航路(鹿児島〜名瀬〜徳之島〜沖永良部島〜与論島〜本部〜那覇)に運航している船だ。
甲板より 甲板より フェリー「あけぼの」

部屋へ戻ると反対側の下の段に若い男性がいた。どうやらこの部屋は2人だけのようだ。

プロムナードデッキで乗船前に買っておいた「おにぎり」と「カップ麺」で夕食。
夕日は残念ながら水平線上に雲があり水平線へ沈む前に雲に隠れてしまった。


33日目:7月25日(月) 晴  
「フェリー飛龍21」乗船中
宿泊:「フェリー飛龍21」
朝6時半頃に目が覚めたので甲板へ出たら太陽はすでに上がっていて朝日は見れなかった。

レストランで朝食。洋定食(サンドイッチ+サラダ+コーヒー)とする。コーヒーは紙コップだったが、やはりカップの方がいいのに無理なのかな。母親と男の子がいるテーブルへ移動し一緒に食べる。サラダを食べていると男の子は「僕、トマト好きなんだ〜」と言うので彼にトマトをあげた。

同室の男性は、葛西(東京都)に住んでいる学生でクロスバイク(700CC)で主に慶良間諸島を廻ってきたとのこと。彼は自転車を分解して袋へ入れるのが面倒なのでそのままお金を払って船に預けている。自転車のことを色々話すが、ランドナーの名称の自転車は知らなかった。ランドナーはおじさんが好む旅行用のサイクリング車なので若い世代は知らないのだろう。

志布志港(鹿児島県)へ朝9時15分入港。ここで下船する人たちもいる。一緒に遊んだ3人兄弟も下船していく。 岸壁に迎えのおじいちゃんがいる。別の岸壁にダイヤモンドフェリーの「さんふらわ さつま」が着岸している。この船は大阪〜志布志を運航している。
志布志港 フェリー「さんふらわさつま」

出港風景を見ながら甲板にいると、あの男の子が遊んでいる。母親は船室にいるのだろう。名前は「勇馬(ゆうま」くん、6歳。なかなか物知りな子でこの船でず〜っと進むと北極へ行くんだよとか飛行機を見てANAだとかイギリスへ行くんだとか話す。母親が来て沖縄の話を聞く。久高島で1週間のんびりと過ごしたとのこと。勇馬くんが着ているTシャツの文字が英語でなく特殊な文字なので母親に聞くと「サンスクリット語」で「神に帰依する」という意味とのこと。インドへも行ったことがあるようだ。母親は船酔いしていて船室に戻った。勇馬くんが絵を描いてくれてプレゼントだと渡してくれる。彼と甲板でカケッコや電車ゴッコをして遊ぶ。孫と同じ年齢なので孫と遊んでいる気持ちになる。
勇馬くん 夕日

船内を機動隊の人たちが歩いている。船客係に聞いたら「東北の被災地へ派遣されている別の機動隊と交代する隊員20人」とのこと。行き帰りはこのフェリーを使用して定期的に交代しているそうだ。ご苦労様です。


34日目:7月26日(火) 曇  
有明埠頭(東京港)⇒ ゆりかもめ「国際展示場駅」⇒ 新橋駅 ⇒ 新宿駅 ⇒ 東小金井駅
伊豆大島が見える辺りで携帯が使用出来るようになった。那覇を出航してから甲板で三線を弾いている男性を時々見かけたが、東京湾へ入って甲板へ出たらその男性が三線を弾いていたので話を聞く。
沖縄の工業高校の土木科の先生でバイクをフェリーに積んでいて東北の被災地を2週間走って沖縄へ帰るとのこと。三線の曲には葬儀の時の唄もあるので被災地の状況に応じて唄を考えてみるそうだ。

東京ゲートブリッジ
フェリー飛龍21/有明埠頭
スカイツリーが見える。レインボ−ブリッジでなく東京ゲートブリッジ(工事中)の下を通過し、有明埠頭に午後1時に接岸。
機動隊員が先に下船してから勇馬くんと母親と一緒に下船。ゆりかもめ線の「国際展示場駅」へ歩くが輪行袋へ入れた自転車が重く勇馬くんの母親からザックを持ってもらって助かった。

3人で新橋駅まで行き山手線に乗り換えて新宿駅へ行く。勇馬くんは電車が好きで車掌さんや駅員さんのアナウンスを真似して喋っていた。新宿駅で京王線に乗る2人と別れ中央線で東小金井駅へ行き駅前からタクシーで帰宅。1カ月の沖縄の旅を無事に終えた。



旅を終えて


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